見出し画像

西口洋平という3%の男。そして3つの言葉。

「オダユウジで〜〜す」

彼に自己紹介をお願いすると、開口一番に出てくる言葉がこれだ。
どれだけ会場がドン引こうとも、このスタンスを変えなかった。

彼は、一緒にがん患者さんなどへの支援を続けてきた、僕にとってお兄さん的存在だった。 

彼が今年5月8日に逝去されたということを知って、僕は今これを書いている。なぜならもっと彼のことを知ってほしいからという単純な願いだ。

そこに少しでも共感や考え、感じるものがあれば嬉しく思う。

あ、僕の口調やペースで書くので、日本語含め、気になる表現が多々あるかもしれないが許してほしい。

西口洋平(ぐっち)さんとの出会い

「お子さんがいるがん患者さん(親)向けのSNSって需要あると思います?」

僕は2015年、国立がん研究センターの特別会議室の前でこう尋ねられた。
尋ねてきたのは、神吉さんという、当時ツンツンに髪を尖らせた、いかにもバリバリのスゲー営業がデキる風サラリーマン(いい意味でね)。
そして少し小柄(ほんと少しだけね)な30代の男性。

名前の掲載許可をとっていないので、仮名を「神さま」としておこう。
(※この記事を掲載した即日、神さまから許しのお告げが。あぁ。神さま。仏さま。)

彼は友人(以前の同じ職場仲間)で、最近がんの告知を受け、病院で治療をしているという仲間を、

「励ましたい!そして彼が考えている新しいチャレンジに協力したい!さらに新規事業として行っていきたい!」

というすごい意気込みを持った「神さま」だった。

その熱意行動力、もうそれは神様の部類でも「韋駄天」という言葉がぴったりの神さまだった。

韋駄天…仏教において天部に属する神。俗説に、仏舎利 (ぶっしゃり) を盗んだ捷疾鬼 (しょうしつき) を追いかけて取り返したというので、足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。

あたらめて
「お子さんがいるがん患者さん(親)向けのSNSってどう思います?」
そう神さまは僕に尋ねた。

聞かれた僕はというと、当時「がんノート」というがん経験者さんのインタビューをネットで生放送するということを始めていた。

僕はこう答えた。

「僕、親じゃないからわからないことも多いのですが…。ただ、患者さん自身はそれを求めているのかもしれません。けど、実際にSNSを構築してそれを運営するのは並大抵のことではないし、ちょっとやってみようレベルだったら難しいと思います」と。

ふむふむと「神さま」はメモをとってくれていたが、まさかそれが今や3700名を超す、日本最大級のがん患者(親向け)SNS【キャンサーペアレンツ】になろうとはその時は夢にも思わなかった。
(ちょっと語弊あるので少し補足すると西口さんに会ったときに、「あ、この人だったら凄いことヤルだろうな」と思った。けどそれは、もう少し先の話)

時は流れ、2016年たぶん年明けぐらいに、はじめて、本人と会った。
たしか、患者さんたちが集まる企画か懇親会か何か…だったと思う。

一度話をしてみると、西口さんは本当に面白い。
彼のジョークで笑ったのはもう何十回、何百回にものぼる。

そして人を惹きつける魅力のある方だった。

詳しく話をきいてみると、胆管がんというがんを患っていて、しかもステージはIV。
5年相対生存率が5%以下の「2.9%」という、厳しい現実が待っている状態だった。

「え、怖くないのですか?」ときいた。

今思うと僕は初対面なのに西口さんになんて失礼なことをきいたんだろう・・・と思ったが、彼はそんな僕に対しても、笑顔で

今考えても仕方ないんで。そん時はそん時に考えましょ!」

「もし5年生き残ると、3%の男なんで!」

明るく笑いに変えていた。

僕は、そうやって笑いに変えて、周りを暗くさせず、むしろ明るくし、パワーにしているのはすごいなと思った。

そしてそのあと、がんノートに出演いただけることに。
西口さんとの放送はとにかく楽しかった思い出しかない。

そして、後日、がんノートでクラウドファンディングしたときに、彼にいただいたメッセージにはこう書かれていた。

私が『がんノート』に出会ったのは、2016年2月。
がんの告知から1年がたったころでした。
私自身も同じように生活に関する情報がなく、
孤独な状況だったときに岸田さんと出会い、考えに賛同し、
ならばと、私から出演を志願いたしました。
同じ関西出身ということで、放送が始まる前から期待値が高い状態で、やりにくさは正直ありましたが(笑)
岸田さんのお人柄やスタッフの方のがんばりで、スムーズに放送は進み、少々の笑いは取れたんではないでしょうか。出演を通じて、自身の体験を語ることが、ネットの向こうの方のためということもありますが、やはり、自分のためでもあることがわかりました。
悩んでいたこと、困ったこと、そんな気持ちを言葉にすることで、モヤモヤしていたものが晴れたような気がしました。
『がんノート』、岸田さん、スタッフの方に感謝するとともに、より多くの方に『がんノート』が届くことを願っています。
これからも、ずっと応援しています!
第39回ゲスト 西口 洋平

画像1

(2016年に、はじめて西口さんに出演していただいた、がんノート風景)

がんノートに西口さんが出るとわかったとき、前述の「神さま」「ぐっちを励ましたい!」という想いで、同じ気持ちを持った方たちと、約一週間で、友人や職場の仲間たちでメッセージを動画にしていた。

そして「これを放送の時にサプライズで流してほしいんです!」とご提案していただいたので、「もちろん!」とこたえた。

実際の放送中は色々ハプニングがあったが、動画を見ているとき西口さんが「なんやねん〜!」と照れ笑いされていた。

その時の横顔が忘れられない。
ちなみに、以下がその動画だ。

(2016年4月第39回がんノート)

そして、今闘病中のあなたへのメッセージは「行動すればかわる」だった。

四人の輪

2017年夏、キャンサーネットジャパンさん主催のジャパンキャンサーフォーラムという日本最大級のがん啓発のイベント@東京日本橋で、僕と西口さん、箕輪恵さん(乳がん)、前田美智子さん(神経内分泌がん)と一緒に、「キャンサーペアレンツ✖️がんノート」の合同企画として一緒にトークをさせていただいたことがある。

画像2

この四人の仲は僕にとって特別な仲となった。
打ち合わせなどで次第に仲良くなり、イベントが終わってからも定期的に、お互いの家に行ったり来たりするようになっていた。

画像3

(箕輪さんの家でホームパーティを。そのときに横須賀の軍港クルーズへ)

【閑話休題】
本筋とは、まったく関係ないが(ので読み飛ばしてください)、4人(+ご家族含む)で横須賀の軍艦クルーズに一緒に行った時、「南極船に搭乗するドクターは何科の医師か?」
というクイズをガイドさんから受けた。

正解は、

「産婦人科医」なのだそうだ。

なんでも、産婦人科医は外科、内科含めすべて網羅してできるからという答えだった。
その時、産婦人科医最強説と僕は考え「医師全員産婦人科医目指せば日本安泰じゃね?」と、明後日の方向の考えをしていたのはその時の雰囲気なので許して欲しい。

おっと、話を戻そう。

別日ではあるが、また横須賀観光した後に、箕輪さんの家で一緒に昼食をとったあと、くつろいでいたら、西口さんの娘さんから「ゲームしよー」と誘っていただいた。

一瞬、僕なんかが、西口家の娘様(小学生)のナイト役(ゲーム相手)が務まるだろうかと心配したが、ゲームをきくと、ニンテンドースイッチでの「マリオカート」だった。

画像4

僕はもうマリカー世代と言っても過言ではないくらいスーパーファミコンでマリカーをやり尽くしていた世代だが……
最新のマリオカートはすごかった。

アイテム増えすぎ、車種も増えすぎ。
見たこともないキャラもいた。

「これが令和か……」と時代の壁を突きつけられた。

もしかしたら、マリオカートというゲームを知らない方もいらっしゃるかもしれないので簡単に説明すると、任天堂の代表キャラクターである、Mr.マリオ氏と愉快な仲間たちの爽快カートドライブ&ドリブン的なゲームだ。

もう少し具体的にいうと、走ってる最中にバナナを投げたり、甲羅を投げたり・・・現実世界でやると、たぶん一発免停になる爆走ゲーム

いや、爆弾も投げれるので、下手したら刑法117条の激発物破裂罪(げきはつぶつはれつざい)などで捕まる。

しかし、ここはゲームの世界。

精神を落ち着かせ、娘さんと対戦。
飛んだり跳ねたり、あげく、半透明になってアイテムや障害物をすり抜けられたり…もう僕の知っているマリオカートではなかった……。
もちろん結果は、ボロ負け
なんども泣きの1回を娘様に申し上げたが、リベンジしても結果は変わらなかった。

そんな僕の姿を見て、お父さん(西口氏)が重い腰を上げてくれた。
もう僕にとっては、「助けてー」という状態でのヒーロー登場。
西口さんは、僕のコントローラーをとり、娘さんと勝負をした。

結果は・・・
お父さんボロ勝ち

もう、娘さんにも容赦なきこと。
あぁ、手を抜くことなく、ちゃんと人生の厳しさということを、これで教えているんだと感じた。(たぶん)

ただ、その時の娘さんへの眼差し、その眼差しはものすごくお父さんであった(語彙力)。

画像5

(娘さんと前田さんの息子さんとのゲーム中)

西口さんと一緒にしてきた活動

思い返せば、西口さんとは、一緒に様々な活動をやってきた。

ーーがん教育での関わり
2020年の今となっては、がん教育が日本全国の学校にも広がっていっているが、2017年のとき、東京はまだ全然だった。
なので「普及させたほうが良いよね」ということを西口さんと話して、まだ全国的にがん教育が始まってない段階で、ちょっとしたアクションを起こした。

まずは現状把握も含めて、東京23区の担当者の話をきいていこうということをしたとき、ぶっちゃけ担当者がわからない!ということもあり、それならばと、トップである、全区長宛てにアポ依頼の手紙を出した。

無視されるかなーって思っていたら、返答は半分くらいあった。
東京も捨てたものではない。
そこから担当者につなげてもらったり、ときには区長に直接話をきいた。

その中でも印象に残っているのは、渋谷区の長谷部健区長だ。博報堂出身のバリバリな区長。
超やり手で仕事が早く、とにかくすごい。
奥さんも元テレビ局のアナウンサーということでこれもまたすごい。(個人の主観です)

とにかくすごい人であり、時間がない長谷部区長が何故会ってくれたのか、いまでも謎であるが、せっかく僕たちに会ってくれるのだからその想いの丈を述べようとした。

画像6

アポの日、区長は早朝9時ごろ、たしか数十分しか時間がないということだった。
10分で概要話して、10分でやりとりして、ぐらいのスケジュール感だった。

限られた時間だと…僕たちの中で、的確な役割分担が重要になる。
文章をここまで見てくれた方にはわかると思うが、僕は日本語があんまりうまくない。

日本語が下手なくせに、圧倒的に語彙力が少ない。
(語彙力がないので、超すごいことは、すごい×3ぐらいを連呼して、すごさをわかってもらえるようにしている)

さらに話し出すと属性が2次元ヲタだからか、いつのまにか「中世ファンタジーの世界」もしくは「俺TUEEE系ライトノベルの世界」そして、「ファイナルファンタジー7Rのヒロインはどちら派か」という世界に話が飛んでしまう。

ただし、前作で「とびだせ!」って言っておいて、今作で「あつまれ!」っていう、「どっちやねん!」状態のどうぶつの森みたいに、そこまで理不尽な日本語ではないのでは?と個人的には思っている。

意味がわからないだろう?

そう。

これで、僕が日本語がうまくないことを身をもってわかっていただいたと思う。

…さて、気を取り直して。

なので、そうなると、区長との大変貴重な時間、僕が話すとアレなので、西口さんが口火をきってくれた。

端的に、要所要所をしっかり話す西口さん。

いつも、おどけている?姿とは違って、すごく真面目でデキる営業マンそのものだった。
真面目バージョンの西口さん。
そんな西口さんのギャップに僕は心をもっていかれていた。

・・・・区とは当時は具体的に話はすすまなかったが、すぐあとに東京「都」が、がん教育に対して動き出してくれたので一旦、僕たちの活動をここで終えた。

ーーグリーンルーペでの関わり
そして月日は過ぎ、昨年、あるイベントを渋谷で行わせていただいた。そのイベントとは、グリーンルーペという活動だ。

グリーンルーペとは「がんになる前に知っておきたかった!」を発信するプロジェクト。(スキルス)胃がんの患者会である「希望の会」の代表、轟浩美さんをはじめとするプロジェクトだ。そのプロジェクトには、全国の肺がん患者会の取りまとめ役(トップ)である長谷川一男さん、そしてキャンサーペアレンツの西口洋平さんもその発起人のひとりだった。

年に1度大きなイベントがあるのだが、そのイベントは、2019年は渋谷で実施された。
そしてそこにはなんと!
かの、長谷部区長のお姿が。
企画の一環で、西口さんが長谷部区長や議員さん、支援者などと一緒にトークショーを行っていた。

画像7

そこは、さすが西口さん。
トークショーの中で渋谷区のアクションまで話をつなげていた。
確か、渋谷区の路上でのたばこ喫煙問題?をどうにかしてくれることを口頭で約束をとっていた(ような気がする)。

次のアクションまでつなげる。
以前もらったメッセージでもある「行動すれば変わる」をここでも彼は実践していた。

ーーCancerXでの関わり
CancerXという超すごい組織がある。
それは「産学官民及び医療者等の連携を通じて、がんと言われても動揺しない社会を実現すること」を目的とし、イノベーションにつながる活動を行っている組織だ。
当時、日テレの記者&アナウンサーでもあった乳がん経験者、マギーズ東京共同代表、みんなの憧れ鈴木美穂さん、OneJapan(大企業の若手有志団体)代表でもあり人脈がパない濱松誠さん、日本最大手の代理店でトップクラスに活躍する半澤絵里奈さん、当時、京大でiPSの山中教授のもとで研究していた三嶋雄太さん、テキサス大学MDアンダーソン病院教授でもありがん経験者の上野直人先生がその発起人だ。

ワールドキャンサーデー(毎年2月4日)に合わせて、CancerXのイベントを日比谷ミッドタウンで行っており、第一回目(2019年)では、政治家の小泉進次郎さんやファミリーマートCEOの澤田貴司さんなどにもご登壇いただいたりした。

もちろん、西口さんもAYA世代(思春期・若年期の世代)のセッションに登壇された。

画像8

画像9

(2019年当時の写真)

CancerXでは、一緒に活動するメンバーとして、西口さんはなくてはならない存在だった(と思う)。

どんなに忙しくても、会議にもオンライン含めて主要なものには、ほぼ全てに参加されていた。イベントの時もそうだが、メンバーへの気遣いや配慮に長けており、打ち上げの幹事や盛り上げ役なども率先してやってくれた。

西口さんのおかげでCancerXのメンバーが次第に打ち解けていたといっても過言ではないような気がする。

みんなが楽しめるようにと、いつも盛り上げている姿をみて、本当に【仲間】を大事にされる方なんだなぁと改めて思った。

そして西口さんが
「この組織、そしてメンバーたちは本当にすごい。熱量がすごいし、めちゃ楽しい、気持ちがいい。ありがたいな〜。」
と第1回目のイベントの帰り道にそう言っていたのは印象的だった。

3%の男。そして3つの言葉。

そして今年2月下旬。
あらためてがんノートにご出演いただいた。
そのときには、もう告知から5年以上立っていた。

そう!「3%の男」になったのだ。

あらためて、放送の中で、いままでの過ごしてきた心情や経過も話をしてもらった。やはり、その放送でも西口さんの姿はユーモアに溢れ、そしてカッコよかった。

放送の中でもとにかく「オダユウジ」と連呼されていたので、だんだん西口さんが俳優の織田裕二さんに見えてきたという人がいたとか、いなかったとか。

そんな、さいごに西口さんに
「闘病中の方々へ」
「キャンサーペアレンツの仲間へ」

そして「ご家族」に対して、あらためていまの気持ちを伝えて欲しいと無茶振りした。

そして、3つの言葉を色紙にも書いてもらった。

彼の「言葉」はこうだった。

(ここについては、僕ではなく本人の言葉できいてほしい。もしお時間があればYouTubeにてご覧ください)

●闘病中の方々へ
「行動したら変わる」
●キャンサーペアレンツの仲間へ
「みんなでつくるキャンサーペアレンツ」
●家族へ
「可能性はムゲンだ!」

「行動したら変わる」

キャンサーペアレンツもそうだし、会社に対して話をしたこともそうだし。セカンドオピニオンも。
やっていくといろんなチャンスやきっかけが転がっている。
それをひとつひとつやってみようと思ってやってみると結果的に良い方向にかわってきた。
なので、何でもまずやってみるってみるのが一番いいのではないかなと思っています。

西口さんは、すべて自分から行動して患者さんを支え、社会を変えてきた。
キャンサーペアレンツというSNSは、子どもを持つがん患者さんにとって必要不可欠な、もうかけがえのないものにもなっている。
彼は、小さな一歩でも進み続ければできることを証明してくれている。

「みんなでつくるキャンサーペアレンツ」

ぼくらが活動していく中で、特にがんのお父さん、お母さんに呼びかけていること。それは、僕がつくったからといって僕が全部やってひっぱっていく。そういう集まりじゃない。みんながやりたいことをやっていく。言いたいことを言っていく。誰がリーダーでもよくて、みんなで作っていったほうが良いからね。

誰かが自分はこれをやりたい!と言えばなんでもやってみようとしてくれるキャンサーペアレンツさんの雰囲気が素敵だ。
実際にその中で、新しいサービスや絵本なども作ってこられた。
そんなキャンサーペアレンツさんに対して、西口さんは「みんなで」といつも言っていた。
仲間を大切にする西口さんらしい言葉だと思う。

「可能性はムゲンだ!」

「遺族になる」という事実にひっぱられて「これをしてはいけない」「不謹慎だ」「こうだったから出来ないんだ」ということを思ってほしくない。
こういったことをバネにして「やってやろう!」と思ってくれたほうが良い。
自分で未来の可能性を狭めるんじゃなくて「デキるんだ!」と思ってくれるぐらいの人になってほしい。

出来ないことを考えるんじゃなくて、出来ることを考える。
前を向く。
そういう想いもこめられた言葉。

西口さんからは家族に対しての言葉であるが、言ってしまえばもう、ここまで読んでくれた人は、西口ファミリーみたいなものなので、全員に刺さる言葉だと思う。

僕は、西口さんと一緒にいろんな活動をしてきたひとりの仲間として、あらためて感謝を伝えたい。

一緒にいろんなことが出来て、本当に嬉しかったし楽しかったです。
今までありがとうございました。
本当にありがとうございました。

「西口洋平」

3%の男。 

キャンサーペアレンツの代表。

一児のパパ。

そして何より、

だれからも愛された男
の名前である。

そして、今でも

「オダユウジでーす」

という彼のあいさつが、どこかから聞こえてきそうだ…

画像10

Fin

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?