自分の特性か気質か性格か
以前、些細なことがきっかけで、やたらイライラしたり、情緒不安定になったことがあったんだが、そこに自分の特性からくるものがあるって気づいたので、書き留めておこうと思う。
唐突なネガの原因は小さなストレスだった。
無理難題を頼まれ、自分の事情も伝えても他にどうしても頼める人がいない、というから仕方なく引き受けた仕事だ。
それがいつの間にか、キャンセルになってたんだけど、こっちが確認取るまでキャンセルになってたことを知らなくて。
不誠実すぎん?
ネガティブにドンと下がったわけだが、その前にある感情は怒りとイライラだった。
何にそんなにイラついてたのか。
自分でもそのときは気づかなかったんだが、習い事の休憩中ささいな雑談で、仕事のストレスの話になったときに話したことと、ASDの人の特性を紹介したYou Tubeを見てて気付かされたことがたくさんあった。
雑談では、自分がものすごく短気だと言う話、見えなーい、とか言われて、いやいや短気なんだよね、例えばさぁ、〇〇のようなこととか、△△のようなこともあってー、などと具体的に話をしていた。
その内容は要するに、合理的でないとイライラしたり、直前で予定が変わるとどうしようもなく怒りたくなる、ということを話していたんだ。
そこで、ハッと気づいた。
囲ったつぶやきの出来事でいうと、不誠実なことが嫌だっただけじゃない。それだけじゃなくて、本当は直前に予定が変わっていたことに腹を立てていたんだ。
そして、なぜに腹を立てたのか?
過去を振り返ってみると、自分はいつも直前に予定が変わるのに耐えられないでいる。自分で変えるのはいいが←我儘、他人から伝えられる変更というものに、極度の不安を覚える。だから、イラつくし、怒りさえ感じていたんだ。
ということに思い至った。
自分でそれに思い至ると、過去の色々なトラブルや、自分の中で未消化だった一人でイライラして周囲に理解されなかった様々な件の原因の大半が、これだと納得できた。
動画を見て、みんながそうなる訳じゃない。
ということにも気づいた。いや、薄々は感じていたことだが。
みんながみんな、合理的に考える訳じゃない、ということにも気付かされた。
みんなに意見を聞いて、どうしようかー、とか生産性のないことで頭突き合わせて時間を使ってるのも理解しがたいことだ。(そういう時間は無駄と思うけど、一緒に考えてるふりをして誤魔化している)
さっさと答えを知ってる人間に聞くとかスマホで答えを調べるとか、だいたい答えが決まってるときなんかは早く結論決めてよ、出てるじゃん答えなんか、って内心でものすごくイラついている。
ネゴシエーション的なものもあまり理解できない。
自分にやってほしいことがあるなら、これこれこういう意図があって、何をどれだけ(数字とか明確に)いつまでに自分にやってほしい、など単刀直入にバシッと一度に伝えてほしいのに、
いちいち、お伺いを立ててながら話を進めていく工程が、本当によく分からない。
実はお願いがあるんだけど。
で一度終わり、次にまた、
さっきのお願いなんだけど、引き受けてくれるかな?
で終わり、
引き受けてくれるなら、〇〇をしてもらえるかな?
で終わり。
そのやり取りが、本気でダルいし、無駄にしか感じない。やるか、やらないか、内容を先に言ってもらわなければ判断できないし、とイラつきながら思ってしまう。
俯瞰してみれば、そんなにイラついたりしないで、
いいよー、何をしてほしいのかな?
って聞いてあげればいーじゃん。それが正解と分かる。でもその場で自分にはどうしてもできないんだ。
心配りが分かってないのかもしれない。
でも、自分には必要ない。そういう駆け引きみたいなこと。と本音では思っている。
なるべく、短気を顔に出さないようにしているつもりだが、どうなのかは知らない。
みんなで集まったり、会議したり、相談して、こ~しましょう、あーしましょう、って話し合うのはいいけど、
なんか、基準を決めておいて、その基準からはみ出したらやらない、基準内ならやる。
基準内ならどう転んでもいいし、基準を外れたら、反対意見をする。そういうもんだと、当たり前に思っていたことも、実は違うらしい。
自分の中での基準の線引が他人には明確にはないらしい、というのも、今まで知らなかったことだ。
理解できないことといえば、あちこちで音が聞こえる中で、話しかけられるのもニガテだ。音は聞こえるが、内容が一向に入ってこなかったり、外国語のように聞こえて、3回くらい聞き返すと、相手が諦めてしまうことはよくある。
なんか、色々自分の特性が、分かってなるほどね、って感じだった。
分かったのはね、本当によかったと思うけど、他者との隔たりを更に感じてしまったよ………。なんか、なんか自分また孤独なのかっていう思いが強まった。
自分は別に診断とか行ったことないから、本当にASDとかADHDかも分からないが、そちら側に近い特性を自分も持っているというのは明らかだ。ということがより分かってきた。
家族にそれとなく、自分って発達障害みたいなんだけど、って話したら、
え、知ってるけど。何か、とか知らんけど、それっぽいとは思ってた、
とあっさり言われた。そう思われてたんだってことをぼくが知らなかった。
孤独の色は、グレーの混ざった群青色と濃い紫だ。知ってるけどって言われた時、そこに細くピンクがスッと入ってきた。ぼくの家族の色かもね。
家族がいてくれて良かった。自分は孤独じゃない。