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記録

結局のところ自分が何者かわかってないから混乱して悲しくなる。
わたしは何者なんだよ

何のために絵を描いてんだよ
わたしのためって
大切なひとに見てもらうためって
それじゃいけない気がして

言葉にしようとすればきっとできる、小難しい言葉を並べ立ててそれらしい理由を言うことだってできる、でもそれじゃどんどんわたし、何者にもなれなくなって

自分が何者かわかってないからわたしらしさがわからないしわたしの絵がわからないし何をしたいのか何をしたくないのかどこに行きたいのかどこに行きたくないのか生きたいのか生きたくないのか、ひとと関わりたくないのにどうして先生になんてなりたかったのか、ずっとさみしくて先生に助けてもらって、きっとわたしもそうなろうそしていい先生になることが恩師への恩返しになるとも思っていた、最近は悩むよりとりあえず決めてしまって先生を目指そうと考えていたけどわたし、やっぱりずっとひとと関わるのがへたくそだ

仕事じゃうまくやってるけど関係を続けるのがむずかしい、何者になりたいのかもわからない。

みんな立派な理由をもとに絵を描いているよ。
描きたいからってそれだけのひともいて、それも立派な理由だよ。
わたしは何をしてんだろう

ここにいるまんまだ

美しいものがみたいけど、べつに海外なんて行きたくないよ
美しいものがみたいだけだよ
海外なんて行きたくないよ

絵を描くのは絵を描きたいからだよ
それはわたしのためだよ
わたしのために描いてんの
インナーチャイルドが喜んでる
わたしが喜ぶと彼女も嬉しいから

大切なひとに見て欲しい
へたくそでどうしようもないし才能もないってきっと思われる
でもそれでいい
わたしは大切なひとに見つけてもらいたい
絵を描きたい

肉体がない精神(わたし)が世界でいっぱいになることを、肉体であるこの肉体(わたし)がキャンバスに描き出すことなんて、まず不可能なことだったのかもしれない。精神が風に吹き抜かれたことを、どうしても描きたくて、でもそれと同時に帰ってキャンバスに向き合う頃にはこの感覚はすっぽり消え去ってしまっていることもその時わかっているんだ。なのに描くことに意味なんてあるのか。意味なんて。

感覚に近い場所のものを肉体の近くで探して最近は描いている。でもひどいもんだよ。絵になってねえの。こんなのを12月、ギャラリーで発表するんだよ。恥ずかしいよ。ほんとに。恥ずかしい。

コンセプトなんて、聞かれたらもう赤面しちゃうよ。どうやってポエマーにならずにいられる?ポエマーのレッテルを貼られないよう説明できる?ロジカルに展開してみる?偽物だ。そんなのは。。

絵を描くって難しい
難しいことはシンプルにしよう
大切なひとに見て欲しい
わたしの絵を気に入ってくださってるひともいるんだけど、
そのひとたちにももしかしたら失望されるかも。
仕方ないか
何者かわからない女の絵だもの

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