私たちらしい。

記録というのは、忘れないためにするのではなく、思い出すためにしているような気がします。
忘れないように書き留めれば書き留めるほど、現実の体からは実感が消えてゆく、言葉だけが本物になる。心が貧しいとき、その言葉を読むと自分を思い出す。わたし、昨日はいつかのわたしのために日記を書いたよ。

2015.3-2016.3のスケジュール帳はとっても分厚くて大きくてノートも一緒くたになってるやつ、大雑把で面倒臭がりなわたしにはぴったりで今年も同じものを買おうと思う。
スケジュールよりも絵のアイディアや持ち運びたい言葉や日々の記録を書き付けている部分が大半を占めているのだけど、だれかに何か相談したり愚痴を言ったりするのがへたくそなのでたいへん役に立ってくれている。

ろくでもない人間だし、友達が少ないことももう隠さないし、頭が悪いし言葉もうまく話せないけど、それでいいの。
孤独のなかで、もっと嬉しさや悲しさに触れたい。もっと喜びの声に耳を傾けたい。それはひとでなくてもいい。あなた及び世界、叫びや歌声をあたためている大地に筆を置きたい。それがしたいことで、画面のために描くことはもうしないし、人生のために生きることもしない。




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