心の所在
どんなけ嫌なことがあっても、どうしようもなく絶望して死ぬのが最も手っ取り早いと感じるときであっても、わたしのやることはなぁんにも変わりゃん、生きて働いて絵を描くだけ、時々笑って時々泣くだけ。
これはもはやどのへんの教育の賜物かしらと思うけど、やっぱり何故か"心"は胸のあたりにあると思っていて、やわらかくやわらかくと考えている時、第三、第四の手で心をもにゅもにゅ揉みしだく。そしたらぎゅうーっと詰まっていた胸がすうっと通って、いつもわたしの涙腺を抵抗できないほど熱く揺らす、体の中心を通る一本の太い芯もリラックスする。すでに飽和していた目頭から涙が落ちても、冷静な頭ではそれすら心地よく感じられるよ
わたし、お尻がとんでもなくおっきくて上半身がやけに身軽だから、心臓がお尻にあってもなんの驚きもない(は言い過ぎだけど)。左胸を撃ち抜かれても死なない自信がある。だから心だってお尻にあってもいいはずなんだけど、頭でもお尻でも足の裏でもなく、何故か胸の中心あたりにあるんだよな、わたしのは。
誰かが、心は体のどこにもなくて、誰かと手を握ったとき、そこに心は生じると言っていた。それもわかる、一人じゃ心なんてきっといらなかったもんね