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エーテルコード

楽天的に生きるというのはかなり重要なことだと最近改めて思う。
自分はひどく感傷的に生きている人間なので、"考えすぎ"と"感じすぎ"で色んなことが難しくなっている。
まあつまり自分でややこしくしているのだ。
これも思考の癖で、ちょっとずつちょっとずつ気づいて方向転換してゆくしかない。

それでこの頃は、頭の中の竜巻から飛び出てきたものを積極的に言語化している。
出てきた言葉をペンでノートにとにかく書き殴る。
現実世界での経験によって飛び出してくるものがほとんどだけど、大体はでかめのブロックです。
ブロックというのは、思い込みとかトラウマとかそういうやつ。
『出会うものや起きることは自分の魂が必要としている経験だから引き寄せている』という考え方があるが、それが本当でも本当でなくても、いまはそう思った方が楽だなーというフェーズにいるので、そう思っている。
同じような人間に、同じような扱いをされることが、思い返せばこの人生で何度もあり、それはたぶんまだ何かに気づけていないからなのだろう、と、そう考えることも可能になるから。

最近自分にとって、自分の精神にとってかなりキツいことがあり、客観的に見れば解決方法はとても分かりやすく簡単に終われるのだが、自分の"でかめブロック"にクリーンヒットするキツさだったため、ものすごく苦しんだ。
経験したくなかったけど、それでもわたしって本当はこう思ってたんだね〜みたいな、子どもをあやすように自分の話を聞くことができ、ゆらゆら揺られながらトラウマの力が緩められたような気はする。
わかったことが大量にある。
だから起きるべきことだったのだろう。
ああ、つかれた。
本当につかれた。
自分が自分に困惑する。

ドデカブロックの代表として、「愛されること」「愛すること」と「お金」のことがある。
お金を払ってもらうこと、出してもらうことにめちゃくちゃ抵抗がある。こわい。
うん、こわい。お金によって何かが揺らぐのがこわい。何も揺らがないのは分かってる、だって別に何もやましいことなどないのだから。
だからお金ブロックもはずせたらいいな。
なんでこんなにお金を出してもらうことに恐怖心があるのか原因はまだ分からない。
小さい頃から親になんか買ってもらうのも無理だった
自分が出したい時はいいけれど、
ちゃんと出してもらうべき時は出してもらわなきゃだめですよ、ほんとに

それで最初に戻るのだけど、楽観的に生きることはかなり重要なことだと思って、
いつもニコニコしてろとかそういうのじゃなくてなんかもう楽しくね、楽しく現実的にね、やっていきましょう
もうじゅうぶんこわい思いをして、少しずつ学びを得たから、
これ以上こわいことは何も起こらない、と確信して、安心して生きることにする
とにかく今はそう思う。明日にはわかりません。



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