雲一つない飛び降り日和
久し振りに自傷をした。
左腕、袖口から見えない場所に数える程。
皮膚一枚分でもしばらくはじりじりと痛んで、昔の自分はよくもまぁこれ以上を繰り返したなぁと妙に感心した。
誰かに見せる訳でもなく、心配が欲しいわけでもなく。
これで死ねると思ってる訳でもなく、安定剤よりは次の日起きられるだろうな、という打算の自傷は、多分、「これで楽になる」というパブロフの犬だ。何せ田舎の中学生はどこにも逃げられなかった。
どこにでも行ける年齢になっても、ままならないものだと思う。
残業に次ぐ残業と仕様変更。所謂ブラックからブラックに転職して笑うしかない。
どこまで行っても同じなら、踏み外してしまおうか。
そんなことを思うくらいにいい天気だった。
そんなことを思いながら午後16時に昼食を咀嚼する。薄い引っ掻き傷はもう痛まない。地元の曇天と違い、東京は冬でも空が青い。
来月には薄くなる傷で取り繕えるなら安いものだ、と思う。どうせ逃げられないのだ。どうせ生きていくしかないのだ。
普通に生きていたって他の人間が傷つけてくるんだなら、誤魔化すように少し傷を増やしたって、生きやすくなるならマシな様に思えた。パブロフの犬に理由を与えるなら多分、そんなものだ。
けど、一度踏み外すと箍は外れるものらしい。
漣のような衝動に苦笑が浮かぶ。疾うの昔に踏み外した細い道を見上げて、あぁ、と嘆息が零れる。
切ったら楽になる。覚えたそれは麻薬に似ている。実際脳内麻薬は出ているんだろう。
乗り越えるための自傷は、それすらも「自傷」には変わらないと後ろ指を指されるんだろうか。
生きることに向いていない人間の救済策が早くできたらいいのになぁ。
そんなことを思いながら珈琲を飲み干した。
青かった空は紺に変わった。
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