かわいそうなこ
二度目の実刑を食らった、排泄物のような弟がいる。
彼は小さな頃から「かわいそうなこ」だった。
体が弱くて「かわいそう」。
勉強ができなくて「かわいそう」。
姉二人に口喧嘩で勝てなくて「かわいそう」。
田舎の、末っ子長男ということもあるだろう。両親は彼を甘やかした。
弟は多動児だった。椅子に黙って座っていることができず、小学校の養護教諭から「発達障害では」と言われたことがあったらしい。
その時点で療育してくれていたら、何か違ったかもしれない。
けれども母は、「可哀想だから」とそれをやんわり断った。
「可哀想だから」
「これからどうなるか分からないから」
そんな言葉を沢山聞いた。
本音は「どうしたらいいか分からなかった」であるとも、いつか聞いた。
それでいて「平等に育てた」と嘯いた。
私の百点と、彼の三十点の何が平等だったのだろう。
昔は納得いかなかったそれが、『出来ない方に下駄を履かせる』という意味だと理解したのは大分経ってから。
両親は否定したけど、まぁ、そういうことだろう。
けれども、昔は納得できなかった。
そこそこに勉強が出来た。親の庇護下で自由を得る対価に、定期テストで一桁を求められた。 成績を落としたら、という、定番の脅し文句も何度か聞いた。
けれども、小学校の割り算の文章題で躓いた弟には、そう言ったものは無かったように記憶している。
「あんな簡単な問題を、なんで理解できないのかわからない」
母に、そう言ったことがある。
返ってきたのは怒鳴り声だった。
「勉強ができるからって調子に乗るな」
「勉強ができることを鼻にかけるな」
――訳が分からなかった。
勉強ができることを求めておいて、できることを誇るなと言う。
矛盾を指摘すれば、親の言うことに口答えした、と見なされた。
勉強だけではなかった。
流行のゲームやなんやと、「親は買い与えない」と言ったものがあった。
だから、お小遣いを貯めて買った。それを、弟にも使わせるように言われた。
私が買ったものだから嫌だ、と断れば、それを取り上げるぞ、と脅された。
――それでいて、『平等に』育てていると、言われた。
弟は、都合が悪くなると黙る癖があった。
そうしている内に、両親は「もうやるな」と叱責を打ち切った。
それではなにも解決していない、と何度か言ったことがある。
……返ってきたのは、「親の方針に口を出すな」という一喝だった。
高校の時の弟はまだマシだった。
それでも自意識は肥大して、所々で馬鹿にされた。
フィギュアを作る専門学校に行きたいと彼は言った。
親はそれを許した。
弟は関東の友達とのルームシェアを希望した。
それは流石に親が辞めさせ、妹との同居になった。
その辺りから弟の肥大した自意識がおかしい方向に行き始めた。
私と、それから妹の連絡は無視するようになった。
貸した本は返ってこなかった。
親に訴えれば「これでいいだろう!」と怒鳴られながら代金を渡された。
専門学校を出た弟は、原型師として実績もなく、就職もぱっとしなかったらしい。
当時住んでいた家にお金をいれなかった、らしい。それは妹が立て替えた。
妹は何度か親に現状を訴えた。
親の返答は芳しくなかった。
妹が立て替えた分は、未だに返済されていない。
その内に、弟はマルチに嵌まった。
勧められるまま20万のスーツを買ったらしい。家賃や生活費を家に入れないまま。
馬鹿じゃないのか、と思った。
マルチなんて私が小学校の頃からある典型だ。
両親に「どうにかした方がいい」と言った。
彼等は「どうしろって言うんだ」と言った。
マルチに強い弁護士のサイトを印刷して渡した。特に弟に甘かった父親は激昂した。
「家族を壊すつもりか」
「姉弟の情はないのか」
そんなことを怒鳴られた。あとは「弟に嫌われたくない」も聞いた。
馬鹿馬鹿しいことこの上なかった。
マルチからあやしいなにかに傾倒して、逮捕される寸前で、人の良い警察の人が実家に連絡してくれた。
弟は実家に強制送還となった。
「もう地元から弟を出さない」
「目の届くところに置いておく」
そう、両親は言った。
数年は、弟はしおらしかった。そこそこ真面目に働いていた。
それでも、何度か財布から千円札が消えた。
親に訴えたが、「気の所為じゃないか」と言われた。
私と、母と、弟と、足の悪い祖母。
その四人しかいない実家で、二階の自室からお札を抜くとしたら。
状況的に明らかだったが、抜いている瞬間は捉えられなかったので、自衛した。
数年は、平和だったと思う。
その内に、弟は県外の店舗へ転勤となった。親は諸手を上げて喜んだ。
「地元から出さないんじゃなかったのか、話が違う」
そう訴えた。
「会社の決定に逆らえないだろう」
「こればかりは仕方がない」
帰ってきたのは、そんなことをだった。
隣県に引っ越して数ヶ月で、弟はその会社を辞めた。
友人の伝手で関東の会社に転職した、とは聞いた。
毎月母親には何かしらの理由をつけてお金をせびる電話が来ていた。
一番笑ったのは「会社の駐車場で外国人に襲われた。医療費がいる」である。
会社の駐車場でそんなことがあったら労災案件だろうに。
母親は律儀に振り込んでいた。その内に弟からの連絡は疎遠になった。
私の主観、というものを除いても、我が親ながら大概だと思う。
私はもう積極的に弟に関わらないから、親が好きにすればいいと思った。
生きていく上で、アレの存在を無視することにした。
その内に私も転職をして、実家を出た。弟に関することは、物理的に耳に入らなくなった。
そんな折。
私の携帯電話に、闇金から取り立ての電話が来た。
まさに青天の霹靂である。
取り立てのニーチャンはご丁寧に色んなことを並べて恫喝してくれた。
正直、とても動揺した。
そこで弟が前科持ちであること、実家にはもっと先に連絡をしていたことも知った。
その電話の中で、取り立てのニーチャンは私の就職先も転居先も知っていた。なんで知られたのかが分からなかった。
即母親に確認の電話をかけた。
母親は無視をしろ、といった。
「勤め先の連絡先も知られているが?」
そう言ったら、電話の向こうから沈黙が返った。
ついでにいつ前科がついて、何故弟が私の転職先を知っているのかも聞いた。
前科はちょうど私の転職タイミングでついたらしい。聞いていなかった。
弟は転職祝いを送る、と言って実家から諸々を聞き出していた。
もはや詐欺師の手管だ。
会社に迷惑を掛ける旨を伝えて、早退して色々調べた。
消費者センターが相談に乗ってくれることも初めて知った。
この時、私が弟の連絡先を知らないことが功を称した。
ニーチャンが恫喝してくれたこと、私の性別もあってそこそこ警察も動いてくれた。
私が動いている間、両親から連絡はなかった。
私より、私の勤め先よりも先に、父親の勤め先に連絡がきていたにも関わらず、だ。
警察に聞いたこと等はこちらから共有した。
そちらはどういう状況か、もこちらから聞いた。
妹にもBCCでは送った。驚いたことに両親は妹に連絡をしていなかった。
妹からそう連絡を貰って、絶句した。両親の悪い面が一気に出た。
酷く虚しかった。でも、色々な方面に余波があるからどうにか動いた。
あちこちに連絡をして、その件は解決したと弟から連絡があった――とは、母親経由で聞いた。
もう二度と勝手に、家族を連帯保証人にしない、とも。
それが、今年の頭だった。
数か月前、弟が勾留された、という連絡が両親から来た。
特殊詐欺の受け子をした、と聞いた。
ついでに、また実家を勝手に保証人にして闇金から借金をした、とも。
マルチといい、特殊詐欺の受け子といい、彼の頭蓋の中はさぞかし広いのだろう。
相当に手垢のついたそれらで、「俺は違う」と忠告を聞かないで。
肥大した自意識というものはここまでか、と思う。
心底、私の人生に関わらないで欲しい、と思う。
出来ることなら、縁を切りたい。けれども現在の法律では、それは出来ない。
なら、もう二度と関わらないでほしい。
それだけでいいのに――両親は今回の刑期が終わったら弟を実家に連れ戻すという。
「また生活に困って闇金からお金を借りられるよりはマシ」と母は言う。
「それ姉二人に割食わせる選択だけど理解してる?」と聞くと沈黙が返る。
そういう部分は弟に似ている。ただ、黙っていても何も解決はしない。
地元で弟が何か問題を起こした場合、狭い田舎で後ろ指指されるのは「実家と親戚」だが理解しているのか?
そもそも同じことを10年前に言って、そうして放流したのは誰だ?
その時よりも年を取って、本人達も冗談めかして「老いたから」なんていう2人が手綱取れるのか?
そういうことを訊ねると「でも、可哀想でしょう」という。
可哀想。出た、「かわいそう」。
私と妹は、その「かわいそう」に入ってないらしい。
「他所に迷惑をかける訳にはいかないから」
「まだ先のことだから分からない」
話を遮って何度も言われた。
でも、少なくとも。
実家に前科持ちを戻そうとしていることは、妹には周知すべきだ。
それを伝えても鈍い返事だった。
再三せっついて漸く伝えたらしいが、隠せる情報は隠そうとしていた、と妹に聞いた。
「何故弟の軽挙で割を食わなければいけないのか」
そう、母に投げた。
母は答えられなかった。
二十数年分、溜まりに溜まったものが吹き出して泣き喚いた私に、しばらくしてから「迷惑かけてごめん」とだけ言った。
……でもそれだって、いつもの、口だけなのだ。
本当にどうする心算なのか。
次の帰省で話し合わないといけないが、でもきっと、建設的なものにはならないだろう。
怒鳴って、黙って、「どうしろっていうんだ」なんて言う。
――今更、そんなことをどうして言うのか。
周りからの助言を、全部切り捨ててきたというのに。
困った時にだけ頼りにする私が何か言えば、「口を出すな」と怒鳴ったというのに。
どうせもう「前科持ちの家族」なんだから、いっそ弟を終わらせてしまおうか。
そんなことを思う。
そうしたらもう、これ以上振り回されなくて済む。
けれどもそれは、今度は、妹に重荷を背負わせるだけの選択だ。
姉と弟が前科持ち、なんて。
人並とは言えないけれど、少なくとも、これまで法に触れることなく生きてきた。
そんな私達と、弟を、同じ胎から生まれただけで、「平等に扱う」と両親は言う。
それは、私達の努力に後ろ足で砂をかけることに、彼等は気付いていない。
指摘をすれば、きっとまた黙るんだろう。
――都合が悪くなった時の、弟みたいに。
かわいそうなこ。かわいそうで、かわいいこ。
そうやって甘やかしたのだから、最期はきちんと、責任を取ってくれないか。
そんな、ドス黒いことを思う。
かわいそうなこ。かわいそうなこ。
そうやって生まれた、肥大した自意識の怪物。
あの怪物に関わらない為には、きっとビルから飛び降りる、それくらいしかないのだ。
上京して、実家と、田舎と距離を置いて。
少しだけ、落ち着いて呼吸ができるようになった。
けれども血縁の呪いは、どこまでだってやってくる。
かわいそうなこ。かわいそうなこ。
もう平等なんて望まないから、そのまま両親に愛されていてくれないか。
――頼むから、もう開放してくれないか。
次に帰ってくるときは、かわいそうなこのまま、一抱え程の桐箱に収まっててくれないか。
そんな、そんなことを、思う。
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