わたしのなかにいるこどものはなし

 私の中には子供がいる。
 物理的に孕んだ子ではなく、昔に切り捨てなければいけなかった部分がある。
 大人になれ、喚くな、と言われてきた。
 納得がいかなくて食って掛かれば「五月蝿い」で封殺された。
 下からもつまらないことで食って掛かるな、と言われた。

 だから、その部分だけ、奥の奥にしまうことにした。

 しまった後は、前よりは家の中で過ごしやすくなった。
 親は「大人になった」と笑った。
 あぁこの人達は都合のいい子供だけほしかったんだな、と思った。

 子供の味方は私しかいなかったんだなぁ、と思った。

 子供は、時折、火が付いたように鳴く。
 その子供を抱えて、あやして、慰める度に、誰もいないんだなぁと思う。
 この子供は、自分で抱きしめてあげるしかないのだ。

 たまに苦しくて、救われる方法を探しに出かける。
 そうすると大抵、「そんなものは捨ててしまいましょう!」というものしか見つからない。
 親ですら捨てたこの子供を、私が捨ててしまったらそれは絶望だろう。
 だから、子供の手だけは離せないのだ。いつか息が止まるその日まで。

 その部分を切り捨てずに済んだ弟はロクデナシになった。
 田舎の、待望の長男ということもあったんだろう。
 きっと私が男だったら、ああなっていた。
 ああならなくてよかったね、と子供と言いあう。
 けど、と子供は言う。
 思い込みが激しい、とか、だからお前は駄目なんだ、とか、鼻にかけている、とか。
 そんな酷い言葉は言われたくなかった、と言う。
 きっと、それに対して、何かしてくれたら子供は今も泣かなくて済んだ。
 けど、そんな機会はついぞこなかった。
 ごめんね、でもこっちだって一杯一杯だったの。
 そんな、謝罪にしては保身がが透けた言葉だけ、返ってきた。

 いつまで拘るんだ、と言われたことがある。
 本当に反省してたならそんな言葉なんて出ないだろう。
 本当に償う気があったなら、そんなこと言わないだろう。
 結局、「謝罪した」という体面だけ保ったのだ。

 何かが溢れたように子供が泣く。
 周りはその泣き声が煩いから捨てていけ、という。
 そんなこと、できるわけないだろう。
 誰も味方がいないということが、どれだけ苦しいか、私は知っている。

 だから、この子供の手は離してはいけないのだ。
 どこまでいっても、私はこの子供の味方でなければいけないのだ。

 これが思い込みだとしても、自慰だとしても。
 せめて私くらいは、私の味方でいないと、報われないだろう。

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