父親が頭を下げた
すまないと、父親に頭を下げられた。
以前にも連ねた、排泄物のような弟がいる。
二度目の前科を受けて、それで両親は彼を実家に戻そうとしているという意図だと聞いたのは去年の秋だ。
正月には、話をする気力がなかった。
けれどもいつかは、話さなければいけないとどこかに引っかかっていた。
GWを利用した帰省。
話すなら早い方が良いと、夜行バスを降りたその足で資料を作った。
少なくとも資料があれば、聞きたい内容は聞けるだろうと、そう思った。
結論から言えば、両親は何の準備も、対策の話し合いもしていなかった。
力が抜けた。
話を聞いたのは去年の夏だったから、半年以上の時間はあった。
祖母の法要なんかも確かにあったが、秋には時間があったはずだ。
両親の中で、漠然と「実家に戻す」という意志だけがあった。
それ以外は、何も決まっていなかった。
自意識の肥大した怪物のような弟は、二十代の前半に一度、実家に戻されている。
その時は前科がつかず、けれども両親は「もう地元から出さない」と言ってはばからなかった。
それは、数年で覆された。
覆すのかと指摘すれば、「仕方がないだろう」と怒鳴られた。
一度目の前科がついたとき、姉二人には相談せず、実家に戻す算段を立ててたらしい。
けれどもそれは、土壇場で弟が保護司になにごとかを伝え、ご破算となった。
両親は、古い田舎の人間だ。
家族の情が何よりも大事だと言い、何があっても家族だと言う。
今回も、ここまで後ろ足で砂を掛けられても親の情はあると言う。
一度目の強制送還の時よりも衰えているのに監視しきれるのか、と聞いた。
やる気はある、前より厳しく見張るつもりだ、と返答があった。
具体的な方法は、ついぞ出なかった。
愚弟を実家に置くことで、姉二人が実家に帰省し辛くなることは考えたのか、と聞いた。
両親は、それでも実家に帰ってきてほしい、と言った。
私達に割を食わせることになるが、それは理解しているのか、と重ねた。
返ってきたのは沈黙だった。
愚弟を弟に戻した場合、家の登記なども最終的に弟に継がせるのか、と聞いた。
父は、お前が帰ってこないならそうなる、と言った。
呪いだ、と思った。
実家を出て、少しだけ、息がしやすくなった。
けれども、あの点滴に好き勝手させないためには、またこの空気の重い地元に帰ってこないといけないらしい。
墓じまい。近所付き合い。親の介護。誰もいなくなった家屋の管理。
そんなの、あの愚弟がやると思っているのか。
親は、黙った。
そうして「でも、住むところがないとかわいそうだから」と綴った。
かわいそう。かわいそう。
それは、感情であって、解決策ではない。
弟がマルチに嵌ったのはもう十数年前だ。
その時に弁護士を入れた方がいい、と言えば、家族を壊すつもりか、と怒鳴られた。
弟を終生地元に留めておくのではなかったか、と聞いたのは数年前だ。
そんなのできるわけがない、と言動を翻したのは両親だ。
いままで、ずっと、感情でいろんなものをひっくり返してきた人達が、今度こそは、と繰り返す。
――そんなの、信じられる要素なんてどこにもないだろうに。
これは、怨嗟も入っている。
愚痴を吐くな、と言われた。感情で話すな、と言われた。
だから理論的に、解決法を見つけるように、そうしてきた。
私にそれを言った人間が、感情で話をする。
じゃあ、あの時、何も言えずに手首を切った、昔の私はなんだったのか。
あなたは一番上だった。親としても手探りだった――だから、仕方がなかった。
仕方がなかった、なら。
学んだはず、なのに。
どうして、三番目がこうなっている。
かわいそう。かわいそう。ずっと親の手元にいればいい。
そうやって、出来上がったのは自意識の怪物だ。
両親は、悪い人ではないのだろう。情の深い人なのだろう。
一昔前の田舎なら、それでよかっただろう。
けれども、対策もなしに怪物を、息子だからと引き入れるのは、自殺行為に近い。
今までの結果から、信用がない、とも伝えた。
そうすると父は声を張り上げて、自分は厳しくするつもりだ、と繰り返した。
拘留所にいる弟にも、大分厳しい手紙を送った、とも返ってきた。
そんなの、右から左に流して終わりだろう。
――反省しているなら、二回目の前科なんてつかないだろうに。
後ろ足で砂を掛けてくる人間をどうやったら信用できるのか。
精神を病んだ私に「頭のいかれてる女」と後ろ指をさした人間を。
人の財布から数年お金を抜き続ける人間を。
借りたものを簡単になくす人間を、どうやったら。
それを訴える度に、「お姉ちゃんなんだから我慢しろ」と言った両親を。
財布の金額が合わないことを「気のせいだろう」と言った両親を。
借りたものを返さない、と訴えても「新しいものを買えばいいだろう。金はだすから、もう終わりにしろ」といった両親の。
どうやったら、信用できるのか。
「その時言えばよかったろう」
苛立った声で父親が返した。
私が、二十年。泣いて、喚いたそれは、あの人の中でなかったことになっていた。
限界だった。
泣きながら指折り数えたら、「悪かった」と父親は頭を下げた。
……でも、それだって、数年したら忘れるのだ。
頭を下げたことだて、「あの時謝ったんだから、蒸し返すな」と言われるのだ。
二十年。そっちの方が、予想できるほど返ってきた。
弟への対策は、あれが出所する少し前までに、ということになった。
先延ばしでしかないが、それ以上は持たなかった。
両親は沈痛な表情を浮かべてた。
……あれだけ、それはただの甘やかしだ、と言った私の口を塞いだくせに、としか、思わなかった。
あの時自殺を成功させておけばよかった。
未遂に終わって、得たものは沢山ある。
それらは、大事だ。
でも、あの時死ねていたら、と思うほどには、疲れてしまった。
……どうせ、何の具体的な対策も出ないのだ。
そうして私と、妹に、「家族なんだから」と割を食わせるのだ。
それが、家族だというのなら。
私が大変な今、どうして家族は助けてくれないのだろう。
謝られたって、ついた傷は消えないのに。
どうして私を踏みにじった家族が、「家族だから助け合おう」なんて、言うのか。
愛されていなかった訳じゃない。
その愛し方が首を絞めるものだっただけだ。
そうとわかっていても、「どうして」が溢れる。
ねぇ、なんで。
叫ぶ声が耳障りだって、黙らせるためにあの手この手で、首を絞めたの。
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