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生きるか死ぬか

その日は突然に訪れた。

2020年10月4日
この日は私にとって運命の別れ道だった。

普段通りに朝出勤し普段通りに仕事をしていた。
最近流行っているウイルスのせいか身体が怠くどことなく胸の辺りが痛む様な気がした。だが咳は無い。

実はその症状が5日前くらいから出ていたものでした。
前日に会社を休み体調不良の為、病院に行き例の検査をした。翌日には結果が出て電話がきた。
保健所からだ『お客様の結果は陰性でした』私は安堵した。
会社にも連絡を入れ、出勤を許可された

その事もあって、この怠さは日々の疲れが溜まっているのだろうと思い込んだのである。
しかし、仕事が18時に終わり帰ろうとした頃、胸に急激な痛みと倦怠感が襲ってきた。
時計を見ると18時35分、地下鉄に乗り急ぎ病院を探したが大体の病院は17時で終わっていた。
やむを得ず、夜間救急の病院に電話をした。“すみません、倦怠感と胸の辺りが痛むのですが”『熱はありますか?』“いえ熱はまだ測っておりません”『でしたら先ずは保健所にお電話をして下さい』“その事でしたら検査して陰性でした!兎に角診てもらえませんか?『少々お待ちください、先生に確認します』

15分くらいが経過した時、『もしもし?今から来れますか?』
“行きます”ようやく診てもらえる事になった。
先ずは問診表を書かされた。
夜間診療だからか、人は少ないが怠そうにしている患者さんがちらほらみえる。
30分くらいが経過したがまだ呼ばれない。
身体は怠く、熱を測ったのだが37.5私にとっては気怠い体温である。
ようやく先生とお話ができ症状を話す。
『とりあえず胸部のレントゲンを撮りましょう』
レントゲンを撮り終え待合室で待っていた。
呼ばれた。
先生はレントゲンを見ながら顔を顰めていた。『このひょっこり出てる物があるんだけど分かるかな?』確かに素人目から見ても分かるような物が見えた。
先生が言う『今日は詳しい検査が出来ないから、明日朝1番で来てくれる?』

家に帰ってからも倦怠感は続きその日の夜は鎮痛剤を飲んで就寝した。

翌朝、母親に付き添ってもらい病院へ向かった。
夜間診て頂いた先生が時間外だが診て頂いた。先ずは造影剤を使ったCT検査をしましょう。と言われた
そんな検査一度も受けた事が無かった為最初は戸惑った。その後採血をし待合室で約1時間半待っていた。

すると先生自らが診察室の扉を開け、私を呼んだ。
検査の検査を言われた時、頭の中が真っ白になると良く言うが、本当にその通りであった。
『心臓に出来物がある』と言われたのだ。
すると間髪入れずに先生はこう言った『うちの病院では検査しきれないから大学病院に紹介状を書きますね』正直その言葉さえ頭に入ってこなかった。

指定された日に大学病院へ行き改めて担当の医師と問診をした。
まだ精密検査はしてないが、推測で病名を付けるとしたら“胚細胞腫瘍”と言う病名いわゆる“がん”である。

改めて病名を聞くと、自分の中の何かが壊れたような気がした。

あの日、疲れのせいにして病院へは行かずに鎮痛剤等で騙し騙し生活し続けていたらと思うと運命の別れ道だったと実感した。

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