育むとは。
私の暮らしの1/3はシゴトして生活費を稼ぐための時間に費やしている。
そう考えたら、シゴトするなら【おもろい】【わくわくする】ものに出会えるかどうかってすごい重要だと思ってる。
そうはいっても、それは社会人を10年以上たったから言える事。小学校から気が付いていた「やりたいことと出来る事は別」という夢の無い現実に、圧倒的劣等感しか生まれなかった。
なんとなく、本当になんとなくずっと思っていたことは
それぞれ人間は人よりちょっとでも「ええとこ」あるやろ
ってことだけ。私はモブだと思ってるし、自分の物語であってもどこか客観視することをやめられずにいる。
良く言えば【理性的】悪く言えば【他人事】
何をしても周りのだれかよりちょっとでも「すごいやん」って事なんて1ミリも無い。そんな私の「ちょっとでもええとこあるやろ」のええとこは何か。
ええとこって才能
私がひとから言ってもらってる「ええとこ」はこれ。自分なりに解析した結果の文章もそえてみるw
(1)やさしい
(2)キャパシティひろい(寛容)
(3)心配りができる
(4)話きいてくれる
(5)知り合いがおおい(ええとこ?)
(1)やさしい って言ってもらえるのは嬉しいことなんですけどね。ネガ思考なので「どこが?」と思うし「嫌われたくないからそう行動してる」とも自分では思うところあります。私が優しくできるのは、道端で出会った人とか、ほんまに大事に思ってる家族や友人やと思う。
私の振れ幅って凄くて
めっちゃ好き。めっちゃ大事 ⇔ どうでもいい
なので、どうでもいいひとに優しくするはずがない。
(2)キャパシティひろい (1)と同じく、どうでもいいという枠が広いだけだと思います。これ、つまり、「嫌い」と思う人がほぼいないってこと。嫌いってある意味感情が揺れ動くじゃないですか。その感情に時間を費やすのがもったいないという超合理的考え方なんだよなー。あんま分かってもらえへんねんけど・・・。
(3)心配りができる これはね。心配性なだけです。重箱の隅つつくような心配をしているだけ。あれどうなったっけ?これってどうするのがベストでマストだっけ?って気になったら忘れられないだけ。
(4)話きいてくれる あれよ。自己開示するのが苦手なだけwww
(5)知り合いがおおい キーマンになりそうな人の事は一生忘れない。これは自分的にも良かった点。自分の頭の中に(懐かしの)タウンページ的なものが存在しているように、〇〇についてはこの人!みたいなキーマンとはつかず離れず連絡を1年に1回程度でも取り続ける。
1人じゃない、ということ
ここに書いた、私の「ええとこ」は、生きてきた中で少しずつ処世術となった後天的な才能だと思っている。
そして、自分にええとこがあるって思えるようになったのは周りのみんながめちゃくちゃ大人だから。私のように出来の悪い人間を支えてくれる人はもんのすごく優しくて、もんのすごく寛容だと思う。だから私もそうなりたい、そうするにはどうすればよいかの工夫をすることでここまで何とか生きてこれたと思う。
何かしら足りてないとこが多いけど、私は一人じゃないからちょっとくらい足りなくたって「たすけて」って言えるから大丈夫。そう思えるようになったのは、ずいぶんと年を重ねてから。遠回りをしたんだと思うけど、気が付けて良かった事。
私を育んだのは
大切に思ってくれる人からの深い愛情があったことだし、自分をほめるなら、受け止めることが出来たからだと思う。
そして、受け止めたあとに踏み出すための背中を押してくれた大切な人たちがいたからだな、と改めて感じた。
そんな私のそばにずっといてくれる人たちに、これからは私が寄り添えたらいいなぁと思ってます。