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ART-SCHOOLと私

私が愛するバンド、ART-SCHOOL(アートスクール/以下、アート)について書く。
初めて聴いた時から約20年ほど追いかけている。
入手可能な限りのCDをほぼ全て買っているが、最近Apple Musicに入会したのでますます暇さえあればぶん回している。

アートは木下理樹を中心として2000年に結成されたバンドで、メンバーチェンジや活動休止と再開を繰り返し、結成当時のオリジナルメンバーはフロントマンの木下理樹のみとなっている。
因って、メンバーや活動時期によって曲の雰囲気も若干変化してきたが、美しい歌詞やメロディラインは一貫しておりアートらしい世界観を繋げている。

私がアートを知ったのは恐らく2002〜2003頃だったか。雑誌かフリーペーパーか確定かでないが、リリースに関連したインタビュー記事を見たのがきっかけだった。
(余談:当時は街中で多様なフリーペーパーが山程配布されており、洒落た店やCD屋に行けば音楽系のものも数種類は置かれていた。
タワレコなどは随分と立派な冊子を出していたりして、街に出るとそういったフリーペーパーを大量に回収し読み込んで、好みのアーティストを発掘したり次に買うCDを探すのだ。
今思えば無料なのに広告すら乗っておらず、ペラ1のペーパーすらカラーで有名アーティストも載っていた。どこもお金があったんだろうなと感慨深い笑)

…イノセントな、青臭く傷つきやすい少年のような男の、鬱々としたエピソードと自己否定。
そんなダメでどうしようもないクズな自分が音楽に救われたように、鬱屈してる奴に寄り添うような音楽をやるというような話をしていた。
当時生きづらさや自己嫌悪で鬱屈して、恋だ遊びだと浮かれた周囲の空気に馴染めずにいた根暗な私は、一瞬で興味を惹かれた。

その少し前まで世はビジュアル系全盛期。イメージすら合わない曲が、アニメやドラマのOPやEDにジャンジャン採用されるくらい流行っていた。
陰惨で淫靡で、退廃的かつ大袈裟な世界観…私をはじめ根暗な奴は大抵そっちに傾倒していた。
しかし2000年代になるとみな化粧は薄くなり、曲調も変わり、解散したりメンバーが抜けたり逮捕されたり亡くなったり…
追っているバンドが次々といなくなり、新たに出てくるバンド達は雰囲気の違いからあまり惹かれなかった。

日陰の拠り所を探していた私はこの暗そうなバンドに飛びついた。インタビュー記事の新作CDリリースを待てずにCD屋に行き、その時在庫があったCDを買った。SONIC DEAD KIDSかMEAN STREETかMISS WORLDのどれかだっと思う。
同時期に何枚も入手したので前後は失念した。

MEAN STREET

衝撃を受けた。こんなの聞いたことが無かった。
地味っぽく大人しい感じの見た目と絞り出すような叫ぶような歌声で、悲しく意味深な歌詞。ギターサウンドで奏でられる、メロディアスな曲調。

元々オルタナティブなんてジャンルはニルヴァーナくらいしか知らなかったし、それすら特段好きな訳でも無かった。(アートと同時期に亜矢というオルタナ系のアーティストを知り、そちらは今も聴くほど大好きである)
邦楽は先述のV系や懐メロやシンガーソングライター系、あとは御多分に洩れず流行りの曲を満遍なく聴いていた程度だった。

当時どんな奴でも流行りの曲は邦楽も洋楽も押さえており、ビーイング系や小室ファミリー、スピッツやミスチル、あゆやELTや鈴木亜美などエイベックス系、Coccoや椎名林檎や鬼束ちひろ、宇多田やMISIA、ハロプロやジャニ系アイドルグループすらも、私を含めた若者は全員が全シングルカット曲を歌えるくらい街には音楽が溢れ続けていた。
他にもヒップホップ、R&B系、青春パンクやミクスチャー系もとても流行っておりインディーズも勢いがあった。シンガーソングライターブームでもあった。

とにかく色んなジャンルが溢れてそれこそロックバンドなぞ掃いて捨てるほどいただろう。
しかし謂わゆる"ロキノン系"の系統だけは、TVなどのメディア露出もないためか地方の田舎では誰も聞いておらず、全く聴き馴染みが無かった。
この時"ロキノン系"のエモさに初めて触れ、すっかりアートに心奪われた私は後日すぐに他のリリース済みCDを買いにタワレコに走った。

左SONIC DEAD KIDS
右MISS WORLD


時に散文詩的で独特、総じて陰鬱だが寄り添うような美しく優しい歌詞と、キャッチーで美しいメロディー。…エモい、エモすぎる。
誤解なきよう2023年の今時流行りのエモいではなく、2000年代後半に流行ったエモ系でもない。
エモいなどと今や陳腐な例えになってしまったが、エモいとしか言い表せないので仕方がない。

それから曲や歌詞に落とし込まれたものを知りたくなり全ての掲載雑誌や記事をチェックし、リリースされたCDを次々と買った。
そして木下理樹が私の敬愛する中島らもや村上春樹、またボリスヴィアンを好きなこと。映画と音楽のマニアでもあり、それらが曲名や歌詞に深く影響を与えていることなどを知った。
そこから少しずつ彼が影響を受けたと公言しているものや関連する作品を履修していった。

初めてアートのライブを見たのは地元で、確か対バン形式のライブだったこともあり素っ気なく数曲演り、何となくダウナーな印象だった。
ワンマン公演を見たくなったが、地元ではなかなか機会に恵まれない。
田舎を出たいと幼少期から感じていたし、文化的チャンスが乏しい上に閉鎖的で狭い人間関係の地元に嫌気がさしていた私は、その後上京することにした。

私が上京してすぐ、確か吉祥寺でオールナイトイベントがあった。土地勘が無いので早めに会場をチェックしていたところ、会場入りの木下理樹に遭遇しライブハウスの場所を聞かれた事は当時のハイライトである。握手してもらった手は何だか柔らかかった。

イベント中はフロアに降りて来た時に周りのファンが話しかけていたので私も勇気を出し、手持ちのミラーにサインとイラストを描いてもらった。
なぜミラーと思うだろうが、ウブで箱入りな根暗田舎民、ライブハウスの文化に疎くバンドマンとフロアで話せるとか聞いてない。知らない。CD用意してない。

朝方の終演後は駅までゾロゾロと他のファンに紛れて歩く。何故か木下理樹も近くにいた。
田舎では考えられない状況に、都会の人間はどれだけのチャンスに恵まれているんだろうと羨ましくなったことを覚えている。

このグッズのタオルに似た、人の絵を描いてくれた

その後もCCレモンホール(笑)や、渋谷O-EASTなど今となっては懐かしの会場へ見に行った。
間が空いたりしたこともあったが、ライブでは毎度心から震えて痺れて、時に涙してしまう。
身悶えするほどのエモさに当てられて、胸が締め付けられたまま帰路に着く。

2000年代は特に活動的で年に2.3作はリリースがあったため曲数もかなり多いバンドだが、本当に全曲素晴らしい良曲ばかりなのだ。
捨て曲などという言い方は好きではないが、活動が長く多作なアーティストであればやはり何割かは自分にハマらないイマイチな曲やシーズンがある。
アートも木下理樹が音楽マニアであるため様々な要素を取り入れた楽曲があるが、どの時期のどんな曲でも常にアートらしい世界観や切なさがあり、ちゃんとエモくてメロディーも良い。
これってなかなか物凄いことじゃなかろうか。

2019年より3年半ほど休止していた活動が、昨年2022年に再開した。新曲がリリースされ、タイミング的にコロナ規制の緩和もあり復活ライブが無事開催された。
復活ライブは久々に携帯を手にスタンバイして申込しまくったがチケットが取れず、年末のライブでようやく参加となった。残念だったが、それほど沢山アートの活動を待っていた人がいたのだ。

最新作のJust Kids


活動20年超えでまた復活した感慨深さと、20年聴き込んでも幾度もライブで聴いていても全く飽きの来ない曲の素晴らしさ。
嬉しくて、相変わらずエモくて胸が熱くなった。
活動休止前は声が掠れたり高音が出ず歌えてなかったこともよくあったが、このライブでは今までで1番良いのではと思うほどの音域と声量だった。何よりあのイノセントな歌声が戻っていた。
復活までの健康管理やボイトレ、絶対に復活して歌うという木下理樹の気持ちと努力が窺えた。

今新しいアルバムを鋭意製作中だそうで、今年もリリースやライブがあると思うと待ち遠しい。
発売日を待ち望むなんてことも大人になって久しく無くなったが、アートにはいつでも若かりし繊細なあの頃の私に引き戻されるのだ。
万歳アートスクール。大好きアートスクール。
ありがとうアートスクール。一生続けてくれ。

そんなこんなでここ数ヶ月はアートを聴く回数も更に増えた。アートへの思いや良すぎる曲について語りたい気持ちが滾ってきたのでnoteで記事にしてアウトプットしていくことにした。
今後は好きな曲を勝手気ままにレビューしていこうと思う。むしろそのためにROM専だったnoteの設定を変えたのだ。

誰にも望まれてない独り言のような呟きなぞTwitterで充分なのだが、何せ文字数が足りないし。最近のTwitterはすぐに火の粉が飛んでくるので好きなものについて深く語るのは怖い。
更には今や感想を呟くとエゴサしたメンバーから直接イイネ♡などが届いてしまう素敵な時代だ。こんな私的な日記のような拙いものを、メンバーの目にすぐ留まるところに置いておきたくないような気もする。
好きなアーティストは憧れであり、直接的に何もかも詳らかに伝わるのは畏れ多くて気が引けてしまう。慎み深い世代なのだ。…よろしくnote。

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