幽霊
何度か、浅い呼吸を繰り返し、その後に深呼吸に近い、深い呼吸を何度か繰り返した。
空気は僕の体内に取り込まれた素振りさえ見せず、場の空気も、その身の色も変えずに、また僕の周りを滞留した。
僕が、作ってしまった数分、いや、数十秒の言葉の分断に、彼女は酷く憤慨しているようであった。
そもそも、何気なく放った一言で、彼女の機嫌を酷く悪くしてしまったのがきっかけだった。さっきまでの静寂を埋めようと必死になって言葉を吐けば、彼女のヒステリックな言葉の羅列が返ってきて、沈黙の影を、いとも簡単に殺してしまった。
こうなってしまっては、僕自身に出来ることは何も無い。ヒステリックな、キンキンした言葉達に当てられないように、鼓膜にそっと蓋をする。大丈夫、彼女には見えない。
部屋の隅に目をやると、青灰色の幽霊が、酷く重い足取りで部屋の中を開き回っている最中であった。いっときの間、音を無くした僕は、それをそっと目だけで追い続けてみる。大丈夫、あちらからこちらは見えない。
罵詈雑言の気配だけ感じ取る。機嫌を損ねた彼女は、僕が言葉に傷つけられていないのを察したらしく、僕の髪を引っ張ったり、頬を叩いては、僕自身の何かしらに傷を付けようと躍起になり始めた。
その目には恐らく、僕自身は、見えていない。
彼女の指先が勢いよく、唇にあたった。
切れた粘膜から、じわりと、血の滲む感覚だけがあった。
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