愛などないと分かっていても
珍しく、2時過ぎに携帯で時間を確認していた。
「もう帰ったら?帰っていいよ。帰ったほうがいいよ。」そう声をかけたら
「そうだね。いま帰らないと帰りそびれるから行くね。」と彼は答えた。
わたしは知らない間に「帰る」の3段活用がうまくなったなあとふと思う。
帰らないで、と言うか言わないか問題は既婚者と独身者が恋愛をする中で一番大事なルールなのかもしれない。そういえば、社会人になってずっと既婚者の彼氏を転々として遊んでいた友達は「そんなの言ったら負けだよ。言いたくなったら違う誰か探す、それが鉄則。重くなったら終わり。」いつもそう言っていたことをこんなタイミングで思い出した。何言ってんだか、とあの頃呆れていたのにもっと彼女の話を真剣に聞いておけばよかったと余計な後悔をした。
「そんな怖い顔しないで。」とわたしの頬を撫でて抱きしめたあと、ジャケットを着てドアを閉めたのは2:40だった。
いつもみたいに早朝5時まで一緒にいてくれなかったことははじめてだった。
不思議と寂しさはなかった。
本当に一度だけ、あなたが帰ったあとに一人で大泣きしたことがある。でも、わたしは心を殺すことと気持ちを切り替えることが上手になったからそれ以来泣くことはなくなった。仕方のないこと、わたしはあなたにとって雑誌の付録みたいなもので、ご飯でいうところのデザートみたいなもので、なくても良くてあったら嬉しいみたいな、そんな付属品だということを心底理解するようになってからは泣くことはやめた。
きっとあの日、彼は勝負に出たのかもしれない。こんな際どい関係でありながら、誰にも信じてもらえないかもしれないけれど、セックスを最後までしたことがなかった。
あなたが意を決して買ったかもしれないコンドーム、使えなくてごめんなさい。その理由は述べた通りであなたがわたしのちゃんとした彼氏ならもちろん抱かれていました。
ヤらしてくれない女の子なんて、用がなくて当然だろうからわたしはもうこれで本当に用無しだな、としっかり悟った。
ここ1年ほどずっと不眠症で眠剤を手放せない。
サイレースを飲んで眠りにつく努力をした。
数時間こくりと眠り、暑くて目が覚めて自分の腕をたまたま鼻に近づけたときあなたの匂いが残っていた。こんなに残り香がすることは初めてで戸惑った。
帰ったらまたすぐにお風呂に入ってSABONのローズシャンプーで匂いを消そうと決めた。
あなたがお風呂を上がってから湯冷めすることも厭わずわたしのワガママのせいで買ってきてくれたプリンとりんごヨーグルトを食べて、ほうじ茶を飲んで、使えなかったコンドームと残ったお酒をカバンにつめて、チェックアウトより少し早い10時過ぎに雨の中の街に飛び出た。
あなたのことはほとんど何も知らないことにふと気づいたのは帰りの電車だった。
日本酒をやっとおいしいと思って飲めるようになったこと、ハミガキが好きなこと、基本的にこだわりが無いから人に合わせられること、優しいこと、コンビニのコーヒーは蓋なしがいいこと。本当にそれくらいしか知らない。いかにわたしが自分の話ばかりぶちまけて聞いてもらっていたかを痛感した。
「わたしのこと、好きじゃなくてもいいからせめて嫌いにならないでね。」
わたしはいつもあなたに呟きながら、抱きついていた。我ながらそんな可愛い言葉が言える自分にもびっくりしていたけれど、同時に本当はその言葉はわたしがわたし自身に言っていたんだろうなと思う。
生きていれば容赦なく周りは責めてくるから、せめて自分くらいは自分を好きでいてあげたいのに幼少の頃からわたしはそれが一番苦手でこれからもきっと苦手だ。だからって、あなたに押しつけてごめんなさい。
この2年半ほどわたし、ずっと夢の中にいました。あなたに愛されていると、あなたの中では家族の次に特別な存在だと、疑いもなく信じていました。
運命ではなかったけれど、運命だと。
そう信じたい場面がたくさんありました。
わたし、という固有名詞があなたにとって特別ではないことをわかっていながら、何度もうざったいことを伝えたりしてごめんなさい。
「めんどくさいよ」ってあなたの心の声が聞こえた気がしました。
誰も自分のことを愛してくれないと理解したときに必死で自分を愛すことがきっと一番必要だったのに、わたしは弱すぎて人に孤独を預けてしまったがために、孤独が孤独を呼んでしまったことを本当に反省するべきだと思う。
わたしはわたしを大事にしていい。いや大事にすべき。わたしを切り売りしてなにかを差し出したり売り捌いたりしなくても生き続る権利はあるし、自分のことを愛せる日がきっとこの先どこかであるはずだ、と祈って。
裸のわたしを全てさらけだしても、誰にも話したことがなかったことを話してみても、それでもまだ見せることのない何かが心に残っている。
わたしはわたしでどこからきて、どこに行きついても、どんな思いを打ち明けたとしても、きっとどこへでも飛んでいくことができる。そしてそれらしく、わたしらしく生きていたのならわたしの話を聞いてくれる強さと優しさを持った人が現れる。そう信じてここで終わりを告げるべきだと、未練や執着はカッコ悪いよと言い聞かせた。
あなたと過ごした金曜日の夜から土曜の早朝にかけてのいくつかの日々は、なぜだかどれも詳細に覚えていて楽しくてあったかいものでした。
しょうもない話も、ありとあらゆる仕事の愚痴も、生きてきて誰にも言えなくて心の中で燻っていた話も聞いてくれて本当に本当にありがとう。
家に帰ってシャワーを浴びてローズの香りに包まれたことを確認して、LINEをブロックしました。少しだけ涙がこぼれました。
もうLINE見れないよ、でもね、あなたから連絡がくることはないだろうからこれでいいの。
こんなわたしに愛をくれたあなたを、
でももう届くあてもないけれど、どうしようもなく好きでした。
運命なんてないとわかっていても、
愛などないとわかっていても、
ウソだとわかっていても、
もう終わりだとわかっていても、
わかっていてもそれでもやっぱり、と進んできてしまったのはわたしが脆弱すぎたからでした。
だからどうか、わたしの知らないところで幸せでいてください。わたしから見たあなたは幸せパッケージの中にしっかり収まっているのだから、本当に大事な人と穏やかな日々を過ごしてください。それから、いつの日か必ずわたしのことも忘れてください。
最後まで聞けなかったことが一つ。
「もし、奥さんと出逢う前にわたしと出逢っていたらわたしを愛して結婚してくれた?」
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