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幸せを願うことさえ怖くて


昨日は一日、相談所で今のところ一番進めたいと思っていた方と遠出して密を避けて一日遊んだ。
ランチもして、散歩をして、夜ご飯も個室で食べて行きも帰りも電車片道1時間かけておしゃべりをした。
わたしと共通点が多く、育ってきた環境も似通っていてずっとお話がつきなくて、一日いても楽だった。

夜ご飯の時、2杯ほど飲んで、
普通の恋愛ではないから、何回目に交際中から真剣交際にうつるのか、お互いわからないねと笑った。 

「すごく似ていて前から知ってるみたいに楽だし今日も楽しかった。でも、一つ懸念してるのが友達みたいになったらどうしようと思ってて。ちゃんと男性として見てくれてる?僕ははじめてあったときからかわいいなと思ったし、婚活といえど友達ではなく男女の関係でいたいと思う。」と心のうちを教えてくれた。


わたしは、ごめんなさいと思った。
多分ずっと好きなのは彼なの、と。
それにこんなわたしをかわいいって言ってもらえてありがたいんだけれど、30歳をこえて、もうそこではなくて今後というところで一緒にいて楽かとか、今後のプランについて話し合えるかとか、そういうところが大事だと思うの。女性らしさは大事だと思うし、気をつけているつもりだけれど、それがなくなったときはどうなるんだろうと深く考えてしまった。


今日、また母と話す場面があって、昨日はどうだったの?と聞かれ答えた。
わたしはこうやっていちいち報告することも、聞かれること、あれこれ言われること、全部がすごく疲れる。それもぶつけても、いつも解決しない。
わたしが考え込む性質であることが問題であることは自分でもよく理解しているのだけれど、どう頑張っても自分に自信が持てなくて、自分を否定しながらその中で成功体験を積んでなんとか自分を保って生きてきた。
それは、もう忘れなさいと言われるけれど、小学生のときに2年間いじめ続けられたこと、多分あそこから自信なんてものは一つもなくなった。

わたしは母の嫌いな妹の性格に似ているらしい。ごめんね、こんなふうになってしまって。
でもね、人間って一人一人違うの。どうしようもないこともあるの。


昨日、相談所の彼と別れて、一人の帰り道のとき、ふとまた彼のことを思い出して涙ぐんだ。
彼はわたしに女性らしさを求めなかったし、いつも優しくてまろかな言葉でわたしを包んだ。
「りんちゃんが本当は弱いところも甘いところがあるのも知ってるし全部すごくいいと思う」わたしの強がりを見抜けたのも、そのままでいいよと言ってくれたのも、そうわたしを全て肯定してくれたのは両親でも学校の先生でもない彼だけだったんだよ。


だけど、彼とはやっぱりいけない関係だったからこそ良かったのかもと思った。
もし普通に同じ年齢で出会っていたら、わたしは自信がない自分を抱えながら彼にアプローチなんてできなかったと容易に想像できる。
仕事もできて、顔も優しくて、背も高くてスタイルも良くて。そんな同年代がいたら、わたしはいけないし、この関係だったからこそわたしもわたしでぶつかって思いっきり甘えていられたんだろうと思う。


そう振り返ったりしていると、またすごく深い孤独に落ちていく。
あゆの歌詞にある「一人きりで生まれて一人きりで生きていく」って嘘じゃないかもしれないね。
 

結局わたしは、幸せになる覚悟や幸せな自分を昔から想像することが難しいことが全ての原因だと思う。
でもだからこその強さや強がりを身につけて、頑張る気力を見出して、ここまで頑張ってきた。


わたしはどうしたいのか全然わからない。
このまま昨日の彼と進めてよくわからないまま結婚してしまうのも一つだと思う。


くらたまみさんのnoteを呼んで少し救われた。バチェラーも全て見ていたし、その時からすごく好きだったけど、彼女の文章はすごく優しくて、正しさも優しさも、人の痛みにもちゃんと理解と寄り添う気持ちを持てて、そんな彼女も眠れないと眠剤を飲んでいることを知って、みんな色々あるよね、と涙がこぼれた。


わたしはここ1年ですっかり泣き虫になってしまって、唯一人前では泣かないと決めていることだけでも自分で褒めている。
悲しさとはちがって、後悔や切なさ、自分のことがわからないもどかしさ、色んなものが混ざって涙になる。


あんまり何も考えずに淡々と日々を過ごすことが今は一番必須なんだろうとは思う。
気持ちの上下もなく、毎日を過ごせたのならと祈る。
そのためにまだまだ安定剤も手放せない。


わたしはどこに向かって歩いているんだろうね。


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