心の声に従ってステーキを食べた話
現在、鬱で休職中の私だが、何とか日常生活を送れるまでには回復してきた。今の私は「自分の心の声を聞くこと」を何よりも大切にしている。
例えば昨日の出来事。
ようやく自発的に外出したいと思うようになり、その出先でステーキが食べたくなった。そこで様々な葛藤が起こる。
「やっぱり他のメニューより高いなあ。やめておこうか。」
「休職してるし、節約すべきだよな。」
「そもそも量多いし食べ切れるかな…」
そこで私は内なる自分に問いかけてみた。おい、お前は何が食べたいのかと。
『は?ステーキなんて絶対家で作れないんだから、食え。今私は肉が食いたいんだ。金?知るか。多少は貯金あんだろ。』
結果、ステーキを頼んだ。余裕で完食した。(とても美味しかった)
とまあ、こんな感じで自分との対話するのだ。
イメージは小さな子どもの私に、大人の私が膝を折って、目線を合わせて「私は何がしたいかな?」と問いかけるイメージだ。ここに行ってみたい、料理をしたい、掃除をしなきゃと思ってたけど、やりたくなくなったからやらない、眠くないから寝たくない、3食食べるのはめんどくさい、エトセトラ。それらに対して大人の私は「うん、じゃあそうしようか。それでいいと思うよ」と受け入れて好きなようにさせる。これを永遠と繰り返す。そうすると、すごく心が軽くなった。何もしたくないなら何もしなければいいし、何かしたいならやったらいいと思う。
何を当たり前のことを、と思うかもしれない。実際、鬱になる前の私も意識はせずとも、何となくはやっていた風に思う。でも最近は仕事に追われていて、こんな当たり前のことも出来なくなって、子どもの私が癇癪を起こして自爆してしまった。だから、この休職中はうんと甘やかしてあげようと思う。ほったらかしにしてごめんね、と。そうしたら、私の本当にやりたい事が見えてくるような、何だかそんな気がする。