『世間』が私たちに何かしてくれた事はあるか?
現在の私は職業訓練校を修了し、そのノリで就職活動なるものをしている。
学生振り・2度目の就活なのだが、これがまた拒絶反応が酷すぎて、一時は休職していた時相当のメンタルの落ち具合だった。
自分の免疫力の優秀さ(?)には驚かされるばかりである。社会に向いていないにも程がないか???
1年ほど自分を甘やかして自由に生きた結果、正社員時代より格段に打たれ弱くなっていたのである笑
これが別に悪い事だとは思わない。自分に正直に生きた結果、より繊細になったという事なのだろう。
デザインを学ぶ事自体は楽しかったので、スキルを身につける為にも一度は会社に入ろうとは思ってはいるので、もう少し踏ん張りたい所ではある。
あまりにも拒絶反応が酷く、どこにも雇って貰えないようなら潔くアルバイトを探そうと思うが。
というわけで、つい最近まで軽めの鬱をぶり返していたわけなのだが、そういう時私は本に救いを求めようとする。
(人に話したところで解決策なんて出ないし、自分の考えに共感してもらえるような人もいないので)
そこで書いてあった本に面白い事が書いてあった。
なんでも、日本人は特に決まった神は信仰していないが、『世間』という神様を持っているらしい。(江戸時代の『村八分』の風習が例として挙げられていた)
時代が変わり、それは昔ほどの効力は失ったものの現代では中途半端で壊れかけているのだという。
完全に壊れなかったのは個人主義になるための特定の強い神を持たなかったから。
中途半端に残ってしまっているからこそ、あの独特の息苦しさが残ってしまったのである。(ここ考察が面白かったので、是非本文を読んで欲しい)
そしてこの『世間』というのは我々生きづらい人々にとっては天敵だ。何かしらのマイノリティである事が多い我々はこの『世間』と自分がかけ離れていることに酷く悩んだり、比較して落ち込んだり、己の精神をすり減らしてまでご機嫌を伺ったりしている。
でも、少し考えてみて欲しいのだが、
我々はこんなに『世間』に尽くして“やってやってる”のに、『世間』が私たちに何かをしてくれた事ってあっただろうか?
否、無い。
そう『世間』は私たちを徒に毒すくせに、何もしてくれないし、責任も取ってくれないのである。
これがもし友人の彼氏だったらDV野郎もいい所。絶対に別れろというであろう。
であれば気にするだけ無駄ではなかろうか。
我々は『世間』から適切な距離を保って好きに生きていれば良いじゃないか。
まあ、裏を返せば全て自己責任という事にはなるが、私を長らく苦しめていた『世間』というものに対しての認識が変わったのが、大きな進歩であった。
梨女(@xxnashimexx)