何のために生きてる?ーーー生まれちゃったから生きてるというと言う話
「私は何のために生きているのだろう」
仕事のストレスから
軽度の抑うつ状態になってしまい、
現在、有給休暇を消化しながら2週間弱休んでいる。
仕事もせず、一日中ベッドから動けず
ただダラダラしている事への
罪悪感がようやく薄れてきたような、
やっぱりまだ薄れていないような。
そんな心境でこの文章を書いている。
私は担当していた業務を投げ出す形で、
逃げるように仕事を休んでしまった。
しかも〆切直前で。とんだクソ野郎である。
自分でも最低だなと思いながらも、
引き継いでいただいている職場の皆様、
本当にすみません、有難うございます。
(ここで言うな)
私がいなくても会社は回っている。
良くも悪くも私は社会の歯車の一部にしか過ぎず、
代わりなんていくらでもいるし、ぶっちゃけ無くても世界という大きな機械は動いていくのだ。
これからもきっと。
居てもいなくても変わらない。
じゃあ私は何のために生きてるんだろうと、悶々と考えてしまう。
暗いことばかり考えるなと思うかもしれないが、
鬱(という言葉を軽々しく使ってはいけないのかもしれないが、片足は突っ込んでいることは確かなので、どうか許してほしい)というものはこういった鬱屈とした自分の思考と向き合う期間なのだと腹を括ることにした。
ということで、色々と考えてみたのだが、
何かのために生きる、というよりは
「生まれちゃったから生きてる」のではという結論になった。
所謂生きがいと呼ばれるものはあくまで後付けの理由であって、生まれたいと思って生まれたモノなんて存在しない。
(他者から望まれる、望まれないの違いはあるかもしれないが)
身も蓋もないことを言うと、貴方も私も親がセックスしたら、たまたま発生した、それだけの存在なのである。
運良く卵子に辿り着いた何億あるうちの精子だったわけで。
なんかRADWIMPSもそんな事を歌っていた気がする。
産んでくれたことを後から感謝することは有れども、自ら生まれたいと願ったものなどこの世には存在しなくて。
人生は生まれた瞬間からボーナスステージなのである。
だから肝心なのは自分自信に納得して生きていけるか、なのだと思う。
どう生きるかは手前で決めなきゃいけないし、
別に決めなくてもいいんだと思う。
そうしてみると、
私は今、病みかけて仕事を休んでいるという
この状況に全然納得出来ていないわけで。
さて、困った。
どう生きたもんかね。