周りに働くの楽しんでる人なんていなかった
思えば、私の周りに働くことを楽しんでいる人なんていなかった。
母親は、私が生まれてからはずっと専業主婦だし、父親も定年までは勤め上げたが、色々あったりした。嫌々仕事に行って、家では疲れ切った様子で泥のように眠ってまた出勤する父を見て、「私もいつかこうなるんだ(≒絶対なりたくない)」と思ってしまっていた。皮肉にも、似たような道を辿っているのだが。
比較的自由で楽しかった大学時代が終わった後もそうだった。
入社した会社は良い会社だとは思うのだけれど、私はその仕事のやりがいとか、楽しさというのもを見出だせないまま、休職してしまって、今は退職の日を待っている。稀に同期と飲むことがあっても、仕事の愚痴ばかりで、げんなりしてしまう事も多かった。
周りの友人たちを見ても、趣味を楽しんでいる人は沢山いるけれど、やっぱり仕事はお金のために割り切ってやっていて、それ自体を楽しんでいる人はほぼ居ない。土日や休みの日に疲れ切った様子でソシャゲのガチャを回して刹那的な快楽を得て、日曜日の夜に絶望する。そんなサイクルを繰り返しているように見える(私もそうだった)。
SNSを見ても、「仕事行きたくない」とか「働きたくない」とか、「あの上司がクソ」とか、「こんな時間まで残業だ」とか「全然寝ていないとか」そういった、クソ不毛な意味のない不幸自慢ばかりが溢れている。
ただSNSをそういう場として使っているだけかもしれないし、実はみんな仕事が大好きという可能性も無いとは言えないけれど、でもそうではない気がする。
そんな私のとてもとても狭い世界では、「仕事が楽しい」と心から言う人間はいなくて、「働くことは何かの代償で、我慢して耐えるもの」みたいなイメージが植え付けられてしまった。
ある種の洗脳だろうか。フリーランスや会社員以外の働き方をしている知り合いが皆無な事もそれに拍車をかけていたのかもしれない。
別に仕事は「楽しい」だけでやっていけるものではないし、たまには愚痴を言ったり、吐き出すことも必要だ。
「好きなことだけして生きていこう!」みたいな、そんな脳内ハッピーお花畑なつもりは無いけれど。
でも、余りにも働くことを「楽しい」と言っている人が少ないように思えて仕方ないのだ。
だから、もうすぐ社会のレールから一旦降りる私は、「自由に・比較的好きなことで・楽しく」生きていけないか、ちょいと挑戦してみたいと思う。
もし上手くいったら、生き字引ではないけど、そういった生きづらい人たちの参考になったらいいなと思うし、駄目だったら大人しく、我慢の労働の世界に戻ろうと思う。
期待しない程度に期待しておいて欲しい。
梨女(@xxnashimexx)