「明後日までちゃんと生きる」という考え方
ここ最近、図書館というものの素晴らしさに今更ながら気づき、よく利用している。
無料で本が借りられるというのは金銭面でもとても有難い事し、図書館までの道のりを歩くことで良い運動にもなる。一石何鳥というというやつだ。
主に、シンプルにのんびり生きていこう系の本をジャンルを問わず読んでいるのだが、ある程度共通して書いてある言葉がある。
「未来のことなんで分からないので、『今』を大切に生きよう」と「いつ死ぬかも分からないので、後悔の無いように毎日を生きよう」というものだ。私も前に似たような記事を書いた事があるので、この言葉には大賛成だ。
幸運にも、とても平和な時代・場所に生まれ落ちることが出来た我々だけれども、明日自分がどうなっているかなんて誰にも分からない。
もし、今日眠りについてから二度と目を覚まさまかったとしても、「まあ、ちょっと残念だけど、それなりにちゃんと生きたかな?」と思えるような生き方がしたいなあと思う。
だからと言って、「今この一瞬だけ生きる!後先のことは考えないぜ!」みたいな刹那主義的な生き方は、この歳の成人女性だと少し厳しいので、「とりあえず明後日まではちゃんと生きてみる」という風にしたいと思っている。
例えば、スーパーに買い出しに行くときは、明後日までの献立をざっくり考える。
これは私のオツムが残念なので、一週間分、一ヶ月分のメニューを緻密に考えたりする事ができないからというのが大きいが、目先の安さに惑わされて、まとめ買いして食材を持て余してしまうよりはいいかな、と思っている。
自分の手が届く範囲で出来ることを。後はまた明後日の私が、残ったものでメニューを考えるだろうからそれに任せる。
あとは、明後日までの予定は何となくでいいので、考えておく。
今日は家でのんびりして、明日は図書館へ本を返しに行こう、といったように。まあ、これはニートのなせる業かもしれないが、プライベート時間の予定でもいいのではないかと思う。
一週間とか、一ヶ月とか一年とか、よく分からないが、人は壮大な計画を立てたがる。そのくせ、そういう人に限って三日も続かなかったりする(ブーメラン)。
でも、明後日までの事なら、イメージがつきやすいというか、身近に感じるのではなかろうか。
手の届かない未来に思いを馳せるより、高い確率で訪れてきてくれるであろう、明後日までをとりあえず丁寧に精一杯生きていこうと思う。
梨女(@xxnashimexx)