思考停止は善か悪か
「思考停止で生きるな」と人はよく言う。
私もそんなような事を何回か書いたような気がする。
でも、果たして本当にそうなのだろうかと最近思うようになった。
そうして考えを巡らせてみた結果、「思考停止してもいいこと」と「思考停止してはいけない」ことがあるのでは無いかという結論に至った。
「思考停止してもいいこと」はルーティンのように、仕組み化できること。
例えば、朝ごはんはパンしか食べないとかそういった事。とはいえ、思考停止でしていい事は人によって異なるので、何を仕組み化するかは自分でよく考えなければならないのだけれど(料理を生業としている人だったら、朝食の献立を栄養バランスよく考えることが重要になってくるだろうし)。
対して、「思考停止してはいけない」ことはそれ以外の「自分の人生(生活)に関わってくること」だと思う。
人生の大きなイベントであれば進路や就職、転職、結婚とか。
小さいものであれば人付き合いとか、一人暮らしとか、旅とかそういったもの。
こういったものは、人に助言を求めることはあっても、最後に決定するの自分であるべきだと思う。「〜べき」って言うのはあんまり好きじゃ無いけど、ここでは「べき」と言わせていただきたい。
大事なのは「思考停止しないこと」ではなくて、「何を思考停止して、何を思考停止しないか」を自分でちゃんと考えて設定することではないだろうか。
人生というものは無限にある選択肢の組み合わせで成り立っている。
それこそ、結婚のような大きなライフイベントから、今日の晩ごはん何食べよう?といった些細なことまで。
全部の選択肢に対して一々丁寧に全部考えていたら、それだけで人生が終わってしまう。人生は長いようで短い。
だから楽しく、効率的に生きるためにもどこで楽をしてどこに力を入れるべきなのかは自分で考えて組み立てていきたいものだ。
梨女(@xxnashimexx)