夜に溶けたくなった話
休養期間もいよいよカウントダウンに入ってきた。
迫り来るリミットに目を背けながら、休養中の罪悪感について書いておこうと思う。
社畜気味の会社員である私にとって、会社を休んで平日の昼に何もしない(できない)罪悪感は凄まじいものがある。
私が投げ出してしまった仕事を他の人がやってくれているのに、自分はベッドでひたすらゴロゴロして、携帯を弄って、動画を見ることしかできない。
惨めで消えてしまいたくなるが、それしかできないのである。
夕方になるまで食事もできず、定時を過ぎてようやく動けるようになる。そんな生活をしていた。
皆、ゆっくり休んでくださいと気軽にいうが、
おそらく無理だと思う。(有り難い言葉であることは間違いないのだが)
自分がいなくても仕事は回るし、回らないような会社はそもそも会社として駄目なので貴方が気にすることではない。
それは確かに正しい。
今の私は体を休めることに専念するべきなのだ。
理屈では分かってはいるのだが、そもそも休むことに罪悪感を抱かないような性格だったら鬱になっていない!と逆ギレをかましたい気持ちもある。
私自身も休養に至るまでに相当な葛藤があったが、
最終的には自分の体調と休みたいという我が儘を通した。
そんな罪悪感と戦いながらも少しずつ外に出れるようになり、その日はレイトショーに行くことにした。
映画館に向かう電車の中。
ふと、このまま最果ての何処かにまで行ってしまいたい気持ちに駆られた。
映画を見終わったら家に帰って、寝たらまた朝になって、日中のあの消えたくなるような惨めさと戦わないといけないのかと。
だったらずっと夜でいてほしい。
いっそ夜に溶けてしまいたいと。
そんな気持ちになった。
鬱のせいかここ数ヶ月は頭がぼうっとしていて、ずっと夢見心地な気もする。
残りの執行猶予はあと数日程。
社会復帰できるのかどうか。
乞うご期待である。