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とはいえ「仕事してる感」が恋しい時もある

基本的には気ままな休職ライフを謳歌している私であるが、それでも弱音が吐きたいときもある。
それは会社で働いている時の「仕事してる感」が恋しいと思ってしまうことだ。

私は元来、社畜気質というかオタク気質というか、何か熱中しているものがないとソワソワしてしまうタイプだ(この辺はINTJだったりするのかな)。
朝起きて、noteの記事を一本書いたら、あとは細々した家事をするくらいで、ひたすらゲームをしたりしてダラダラしている今の生活。ふと、「私の人生これでいいのかな」と思ってしまうことがある。
定年退職したお父さんが家でやることが無くて無気力になってしまう感覚はこんな感じなのだろうか。

なんでこんな惨めな気持ちが湧いてしまうんだろう、と考えてみたのだけれど、「お金を稼いでいないこと」と「誰かに必要とされてる感の欠乏」の二つが大きいのだろうかと思い至った。noteを書き始めたのも、自分の為というのも勿論あるけど、「誰かに必要とされたい、繋がりたい」という気持ちもあったのかもしれない。自分は一人でも生きていけるタイプの人間だと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。

その点、「仕事してる感」はこの二つを手っ取り早く満たしてくれる気がする。
とりあえず何かしらしていれば毎月お給料はいただけるし、仕事も基本的には誰かからお願いされてやるものなので、必要とされている感覚も味わえる、万々歳だ、何と素晴らしい!

でも、その即効的な快楽を得るために自分の思考を放棄してしまうのは果たしてどうなのだろうかとも思ってしまう。
自分のやりたい事と仕事の方向性が同じなら、そのままでいい。
しかし、お金の為だけ、とりあえず安心したいからという理由で仕事をしているのなら、どこかで一度、自分と向き合う時間を設けなければいけないと思う。今の私のように。勿論、生活が苦しくてそんなこと言ってられない人だっているだろうが、納得した人生を歩むにはその時間が必要なのではないかと、私は思う。

といった屁理屈で自分を正当化してみても、やっぱり気持ちは晴れなかったりする。でも逆に言えば、お金を稼いで、誰かに必要とされていれば会社で働かなくても充実した生活を送れるわけで。…まあ、それができたら苦労はしないのだが。

とりあえず記事も書き終わってしまったので、私は今日も自堕落な一日を過ごすことにする。


梨女(@xxnashimexx)



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梨女
ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。