努力を認めてほしいのに、努力を見せたくない矛盾
今日は、自分の中にある黒い澱のようなものを消化する日にしようと思う。
タイトルにあるように、私は「努力を認めてほしいのに、努力を見せたくない」という矛盾を抱えている。
私は、完璧主義の気があるというか、無駄にプライドが高いだけというか、人に自分が努力している姿を見せるのが凄く嫌だった。というか、今まで生きていて、「努力した」という感覚をあまり感じたことがない。
それは当たり前のことで、みんなやっていることだからと思っていた。
それだけなら、ただのストイックな人で終わっていたんだけれど、私は人並みか、それ以上には承認欲求的なものがあったようで。
だから、誰かが評価されたり褒められたりすると、「何であの子だけが褒められるの?私の方が頑張っているし、成績もいいのに」という何とも不適応な反応をしてしまっていた。私が同じような結果を出しても、出来て当たり前でしょ、みたいな反応をされるのに。私だって頑張っているのに、と。
今になって思うと、嫉妬のようなものだったんだろう。その子だって私が知らないだけできっと努力をしていたはずなのに。
でもだからといって、「〇〇さん頑張ってるね。」と言われると、「私のことを何も知らないくせに、知ったような口を聞くな!」とも思ってしまっていた。誰も私のことなんて分かってくれない、私は世界で一人きりなんだという、厨二病全開な痛い感じの子だった。うーん、我ながら何とも面倒臭い。
現に、そういった軋轢から生じたストレスが爆発して(それだけが原因ではないけれど)、今会社を休職しているので、この矛盾は何らかの悪い影響を及ぼしてはいるのだろう。治したほうがいいんだろうかとも考えたのだが、無理じゃないかという結論に至った。
だって二十数年間ずっとそうやって生きてきたのに、いきなり「私めちゃくちゃ頑張ってます!褒めて!」と触れ回るのは何か違うし、私自身もそういう愛されキャラになりたいわけじゃない。
だから「矛盾している自分を拒絶する」ことより「矛盾を抱えている自分を受け入れる」ことにした。
そもそも、矛盾を抱えていない人間になんてこの世にいないんじゃないだろうか。清廉潔白な人間なんて存在しない。人は大なり小なり歪みや、人には言いづらい闇を抱えて生きている。そういうもんじゃないかって。
だから、そういう自分を受け入れたうえで楽しく生きていてる方法を考えて生きたいと思う。
…でもやっぱり、たまには誰かに褒めてほしいな、なんて。
(この歳になると、もう人から褒められることなんて殆どないので。笑)
難しそうなら、自分で自分を褒めてあげようと思う。
梨女(@xxnashimexx)