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何故か、文豪に心惹かれる。

こんなことを呟いて、そういえばこの「文豪に対して勝手にシンパシーを抱く現象」は学生時代の国語の授業の時から持っていたかもしれないと思った。
特にこの分野を研究していたとか、熱心なファンなどでは決してなく、教科書に載っているくらいのものしか読んだことないレベルなのだけど。

このあたりの時代の文豪の破天荒エピソードを見たりすると、「ああこいつ、絶対社会不適合者だ。こちら側の人間だ。」と彼らを身近に感じていた。
でも彼らは当時から社会的に評価され、それこそ今でもその作品が教科書に載るほどだし、根強いファンがいる。

彼らと私たちの違いって何だろうと考えた時、「いかに自分の世界を凝縮して爆発させているか」なのかな、と思った。

谷崎潤一郎が筋金入りの足フェチというのは有名な話かもしれないが、初めて『刺青』を読んだ時、そのあまりの足への執着っぷりに思わず笑ってしまった。足の描写にめちゃくちゃ力が入っているのである。「ただの変態じゃねーか!」と突っ込まずにはいられなかった。『少年』も彼のマゾ的な性癖が炸裂している作品で、「私は何を見せられているんだ…?」と読みながら困惑したのを覚えている。

でも私はこういう突き抜けている人は嫌いではない。むしろ好きだ。

私たちのように生きづらい人々は、おそらく持っている能力にムラがあるので、世間一般で求められる「普通」に答えられないことが多いと思う。
ならばいっそのこと、その能力を極限まで尖らせて「変態を目指す」というのも、一つの生き方としてアリなのかもしれない(勿論、法に触れない範囲で、というのは大前提だけど!)。

文豪たちが生きた時代は、文明開化とは謳いながらも、まだ外国の考え方のようなものは浸透しきっておらず、そういったものに寛容だったのかもしれない。
というか、外向型の方がいいみたいな風潮は、いつから生まれたんだろう。経済が発展して、ホワイトカラーが増えてきてからだろうか。江戸時代とかには絶対なかったと思うんだよなあ。

なので、私のように生きづらい人々は、現代の成功者よりも、こういった愛すべき先人の変態達(※褒め言葉である)を参考にした方がうまくやっていけるのかもしれないと思い始めた。何かそういうの研究している人とか本とかないだろうか。探してみよう。

ということで、私なりの生きづらい文化研究考察であった。
楽しかったので、また思いを馳せてみたい。



梨女(@xxnashimexx)




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梨女
ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。