Twitter廃人とにわか雨の話
以前、FFの近くの界隈でとある曲についての歌詞考察が流行っていた時があった。
丁度TLを見ていない時にブームが巻き起こっていたので、私がそれを確認したのはだいたい話が終わりかけていた時。そこから必死に遡った時の感想はたった一つ、「いいな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」だった。
一つの曲について様々なツイートが巻き起こるTLがたまらなく好きだったからだ。
FF内外問わず、noteやツイートに考察がまとめられているのも見た。それもニコニコ顔で───。
さて、そこから月日が経ち、今現在私はその曲にどっぷり使っている。本当に流行りが過ぎ去ってから沼る体質は変わらないようである。
考察TLに流れていたような考察は書けない(他の人が書いていた考察を読んで満足してしまったが故の状態)のだが、何故かこの曲のことだけは文面に残しておきたかった。
あらかた沼りかけ初期に触れたアルバムに入っていた曲ながら、未だに聴くと新鮮味がある曲。
ずっと初聴きのような感覚を持っていたその曲を、さも元々あったかのように聴けるようになったのはつい最近の事だ。
そしてこの曲は、いつまでも初めて感じる様な感情を閉じ込めた曲なのではないかと気が付き始めた。
自分の人生の分岐点、立ち止まらなければいけないような何かを初聴き感を抜けた今でも、この曲からずっとそれを感じている。
気がつくのが今でよかったのかもしれない。
その曲はそこで私が来るのを待っていたのかも、と。ずっと家に閉じ込められて見慣れた景色をずっとぐるぐると回っている今だからこそ。
私はこの曲をずっと聴き続けるだろう。そして、これからの人生を歩む度に後ろに遠ざかっていく木の事も、時々忘れては思い出すだろう。
しがみついたその手はかろうじて、離してはないから。