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ノンフィクションインタビューvol.5 ADHD発覚の巻

米粒です!
インタビューの第5弾です💡

これまでのインタビューの一覧はコチラ↓

前回までの簡単なあらすじ

学校を2つ中退し、ピザ屋でのアルバイトを27歳までしていた米粒。

将来が見えない不安を消すため
将来への貯金のために、
地元福岡を離れ、愛知県の工場へ向かう‥。

イ→インタビュアー
米→米粒

旅立ち



ー米粒さんは2018年、
福岡のピザ屋のアルバイトから一転して、
愛知県にある工場の作業員になったということですか?


ーはい。
2018年の10月15日ですね。よく覚えています。


ー赴任というか、引越しとかはどういう段取りだったんですか?


ー工場作業員になるのが決定した際に、各々の会社から用意されている寮の住所を知らされるんです。
そこに実家からの荷物やバイクを宅配便で送り、自分はすぐに必要な荷物をトランクに入れて新幹線で向かいました。


ーけっこうな長旅になりそうですね。


ー新幹線で3時間半くらいでしたね。
赴任してすぐ現場入りではなく、
寮に入った日は引越し手続き等でオフでした。

そこから健康診断をしたり、社会保険等の手続き、研修があったんです。
なので実際に工場で作業を始めたのは赴任してから10日後くらいでしたね。


ー引越しってそんな感じなんですね。

米粒さんは高校でも文系っておっしゃってましたし、手先が不器用ということだったんですが‥
工場の仕事は大丈夫だったんですか?
仕事内容とかも知りたいです。

工場作業


ー1番最初に配属された工程は、楽なほうでした。
目の前にある機械に部品を手で嵌め込んでいく作業だったので、すぐに仕事を覚えました。


ー工場の仕事ってなんというか、ベルトコンベアから流れてくる絶え間ない作業を想像するんですけど、ベルトコンベアではなかったんですか?


ー自分の工程ではベルトコンベアではありませんでした。

ただ、一台の車を作るときの制限時間はあったので、もちろんダラダラやることは許されませんでした。


ーでは8時間くらい、ずっと同じ嵌め込みの作業なんですか?


ーそうですね。残業も入れて9時間や10時間はその作業だった気がします(笑)


ー体力的には大丈夫だったんですか?


ー最初の頃は筋肉痛とかがあって少ししんどかったですが、慣れてくると筋肉痛もなくこなせるようになってくるんです。
人間の身体の順応力ってすごいですね。
なので残業が多めでもなんとか体力は保っていました。


ーなるほど。
話聞いてる限り、けっこう続けられそうな感じではありますね。

工場は給料は高かったですか?


ー自分のいた工場、そして選んだ派遣会社の給料は高かったです。
残業が少ないときでも手取りが25万円くらいで、残業が多い月は手取り32万くらいでしたね。


ーけっこう給料高いじゃないですか!
それだったらかなり生活に余裕が持てそうですね。


ーそれが予想以上にお金使ってしまっていたんです。

自分を愛知に誘ってくれた友達と毎週のように遊んでいましたし、
寮からバイクで10分ほどのところにドンキホーテがあったんです。
ドンキホーテで欲しいものが多すぎて、ついつい給料が多いと買い物が増えましたね。


ー米粒さんは買い物でストレスを発散するタイプなのかもしれませんね‥

ADHD診断


ーそういえば米粒さん、
今回のインタビューにあたり、前情報で「発達障害(ADHD)診断が出た」
と聞いたんですけど、
なにか工場でADHDと診断されるキッカケみたいなことはあったんですか?


ー説明しますね。
時系列ごとに話していくので少しまとまりが悪くなるかもしれませんがお許しください。


ー大丈夫です。
聞かせてください。


ーまず2018年の10月に愛知県の自動車工場に行きました。

それで3ヶ月くらいは、さっき話した部品を嵌め込んでいく工程だったんです。

年が明けて2019年の1月から、自分は別の工程に配属が変わったんです。


ー工程の変更ですか?
失礼な聞き方になるかもしれませんが、配属が変わったということは何かやらかしてしまったんですか?


ーいえ、工場ではいろんな工程ができるようになるために定期的に工程が変更されるんです。
自分だけでなく、同じ時期に入社した同僚もみんなシャッフルという感じでした。


ーそうだったんですね。失礼な聞き方で申し訳ありません。


ー大丈夫ですよ。
それで1月に変わった配属先が自分に合わなかったんです。
自分に合わないというよりは、その工程が俗に言う「キツい工程」だったんです。

とにかく制限時間がシビアで、先輩に手伝ってもらっても追いつかなかったんです。


ー同じ工場でも楽な作業とキツい作業があるんですね。


ーはい。
時間が足らなくて追い込まれると、自分のADHDの不注意の部分が出てくるんです。
部品を落としてしまったり、長い部品を壁にぶつけてしまったりしていたんです。

その度に先輩から
「お前は落ち着け!」
って言われていました。

それでミスをしないようにと慎重に作業すると、今度は作業が遅くなって先輩から怒られるんです。


ー米粒さんは郵便配達員のときも不注意が酷かったと聞きましたし、何か対策とかがあればいいんですけどね。


ー流石に自分も学習して、
「この作業のときは〜に気をつける」
「周りを確認する」
のようにメモに書き、実践していました。

しかし9時間や10時間の作業になると、どうしても不注意が出てしまうんです。

先輩からもふざけているんじゃないかと疑われていたんです。
作業後に呼ばれて話し合いをしたんですが、その先輩からの質疑応答にもトンチンカンな答えばかりしていたみたいです。


ー高校の部活の時から先輩の質問にうまく答えられなかったって言っていましたもんね。


ーそれで休日に、自分を愛知に誘ってくれた友達に相談したんです。
友達はメーカーの本社勤務だったんですが、工場現場の経験もあったので何か対策を教えてくれると思ったんです。


ー米粒さんなりに対策を練ろうとしていたんですね。


ーすると相談したあとに友達から、
「工場の単調な作業もできないってお前おかしい。病院に行って診てもらったほうがいい」
と言われたんです。


ーなんかそれはちょっと友達の言い方も酷いような気がしますね‥。


ーこの最初の発言だけだったら自分もイラッとしていたと思います。
ただ、その友達とは小学生の頃から15年以上付き合いがあって、

・自分が学校を2つ中退したこと
・郵便配達で不注意をたくさん起こしていたこと
・ピザ屋時代に忘れ物が多かったということ
・一人暮らしで公共料金が払えない、部屋がかなり散らかっていたこと

など全て知っていたんです。

それを踏まえて、
工場は不注意で自分や周りの人の命を落とすこともあるから、できるなら病院に行って薬を貰うとか、部署を変えてもらうとかをしてほしい。
と頼まれたんです。


ーその友達の方は心配してくれたんですね。


ー口調は強いですが、その分心配性なところがある友達でした。
それでその友達からADHDの話を聞いて、
その症状を調べたんですが、あまりにも自分の幼少期からいろんなことが当てはまっていたんです。


ー自分でも心当たりはあったんですね。


ーはい。そして寮からでも通える心療内科に行って検査をしてもらったんです。

するとお医者さんから、
チェックシートや幼少期からの発言や行動を聞いた限り、ADHDという発達障害の一種だと思います

と言われたんです。


ー米粒さんが思っていた通りだったんですね。

実際にお医者さんに言われて、
どう思ったとかありますか?


ー半分「やっぱりね
という気持ちと
半分「俺は障害を持っているんだ
というショックの気持ちがありました。


ー複雑な気持ちだったんですね。
その友達の方が言ってたような薬とかは貰えるんですか?


ーはい。お医者さんからADHDの症状を改善する薬を処方されました。

それで働きながら様子見だったんですが、薬の副作用で夜全く眠れなくなったんです。

ただでさえ普通に睡眠が取れているときでも不注意が多いのに、眠れないと輪をかけるように不注意が増えるんです。


ーそれはかなり危ない状態ですね。


ーそして数日ろくに眠れず、フラフラの状態で出勤したときに上司からストップがかかりました。

派遣元の社員も来て面談になり、実質クビのような感じでした。


ーまあ発達障害ではない人でも、数日眠れなかったら思考力も判断力も落ちると思うので、しばらく休むことがいいと思います。


ーそうなんです。
会社や仕事が嫌だったわけではないんですが、とにかくゆっくり眠りたいという気持ちが強かったです。
後日派遣会社から呼び出されて、1ヶ月の休職だと言われました。

その後再び行った心療内科で、
抑うつ状態
の診断が出て、診断書と睡眠薬をもらったんです。


ーうつになったんですね。
その休職期間で思いっきり休んで欲しいです。

休職


ーおかげさまで仕事をしなくて良くなったことと睡眠薬の効果があり、休職から1週間くらいで体調は少し戻りました。


ー良かったですよ。


ーただ1ヶ月の休職が終わったら、違う工場に派遣に行くか、派遣会社自体を辞めるかの選択をしないといけなかったんです。

寮も出ないといけなかったので、体調が戻ったかと思えば、

次に住む家
次にする仕事

を探さないといけなかったんです。


ー確かに住み込みの仕事を辞めたらどちらもなくなりますもんね。


ー実家がない人、実家に帰れない人にとっては死活問題なんですよ。


ー実家に帰れる人だったら実家でしばらく休んでそこから仕事を探すとかできるんでしょうけどね‥

再出発


ーそれで仕事はすぐすぐは見つかりそうになかったので、とりあえず住む場所をどこにしようかと考えたんです。
東京方面に行こうとも思いましたし、
大阪方面に行くか、福岡の実家ではないところで一人暮らしをしようかとかずっと考えていました。


ー結局はどこにしたんですか?


ー広島県に住むことにしたんです。


ーなぜ広島県だったんですか?


ーまず、愛知県はけっこう家賃が高かったんですよ。
それに自分を愛知に誘ってくれた友達ともギスギスしていたので、愛知からは出たいと思っていたんです。
東京も家賃が高いですし、人が多い場所は当時の体調だとしんどいと思ったので辞めました。

福岡も、実家の近くなので帰らされる可能性があったので、遠すぎず近すぎずという感じでした。

そして新幹線で行ける圏内のところを探していたんです。
最終的に大阪か広島で迷い、広島は中心部でも家賃が安めでしたし、広島は祖父の本籍だったので行ったことがあり土地勘があったんです。


ーなるほど。


ーそれで2019年の3月に、愛知県の派遣会社、工場を辞めて単身で広島に引っ越しをしました。


ー発達障害の発覚に抑うつに苦労されたんですね。
広島で生活が良くなることを願っています。

では次の記事では広島での米粒さんの暮らしを見ていきましょう!

つづく

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