ADHDの僕が経験した工場勤務その9(環境が変わり四苦八苦する派遣工)
米粒です!
今回も話していきます
工程変更
11月中旬から残業も含めて生産が増え
12月になるとみんなの息が合いラインが止まることは機械不具合以外ではなくなり
すっかり自分も慣れてきました
しかし12月の初めに
ラインが停止しているときに上司から呼ばれて
「米粒、来月からは〇〇の工程に行ってくれるか」
と言われました
工程変更は自分だけでなく
自分の同期、1週間後に入った後輩は全員シャッフルみたいな感じでした
隣の工程で期間満了で辞める人がいたらしく、その穴埋めだったみたいです
そしてその日から少しずつ隣の工程に行き
先輩からやり方を教わり、徐々に少しずつ工程を担当するようにもなりました
ちなみに工場では2時間おきに休憩があり
8時間を2で割り4で
よく「〇ラウンド」
と言います
なので上司から
「次のラウンドはライン外に工程任せて隣の工程を手伝いに行ってくれ」
と指示がありました
工場には自分の工程を持っておらず、みんなが休憩している間や止まったときに助けてくれるライン外という人たちもいて
その人が自分がいないときは担当してくれます
覚えることが多い工程
工程変更を言われたのが12月初め頃で
そこから自分の工程メインで
1ラウンドだけ隣の工程、もしくはライン外の人の手が空いていたら3ラウンドほどもう隣の工程に行き作業をしていました
次に自分が担当した工程は
工場経験者でもけっこうキツいところだったと思います
作業スペースは20メートルほどだったと思います
なので野球でいえばピッチャーからキャッチャーまでの距離くらいの工程で
その工程にいくつも機械があり
その20メートルをひたすら歩き順番にパーツを時間内にはめ込んでいく工程でした
いくつもの機械にはめ込んでいくパーツを覚えたり、部品の順番を間違えたりすると(間違いですよ)とブザーが鳴り
ブザーが鳴るとライン外の人に来てもらう必要がありました
最初の工程よりも覚えることが増えて大変でした
怒られる日々
12月も後半になると、徐々に次の工程で任せられる事が多くなってきましたが
もう一つ自分にとって苦しかったのは
ラインの制限時間
です
自動車工場は基本的にラインの時間が決められており
ほんの少しでも遅れると次の工程の人たちに迷惑がかかるので
必死に作業していました
すると余裕がなくなると自分はミスをすることが増えてしまいます
長い部品を横の壁にぶつけてしまったり
まだランプが付いていない入ってはいけないときに入ってブザーが鳴ったりで
毎日怒られていました
それが年が明けて自分1人で工程を担当することになると毎回ライン外の人に
「作業遅い!」
「何秒遅れてるのかわかってんのか!」
と怒られました
聞き取れない
ライン外の先輩も手伝ってくれましたが
先輩の声は聞こえるのになんて言ってるのかが聞きとれず
先輩が「俺〇〇のとこやるけん次の工程から始めて」
と指示を出したにも関わらずその指示が聞き取れず先輩がしてくれている工程に向かおうとして
「やけん俺がここするって言ったやろ!」
と怒られていました
そのあとは前回と同じく
「なんで俺って仕事できないんだろうな」
と悩むことが増えました
そしてネットで調べていたときにADHD
の記事を発見しました
ADHDは少し前から知っていましたし
自分もその傾向がありました
なので年明けてからしばらくした一月後半
自分は病院に行くことにしました
続きます。
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