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最近話題のADHDについて!

こんばんは、こめつぶです

更新が遅くなりました🙏

今回はADHDとは何か?

さらにはどういう症状があったか

などなどお話できたらと思います😄

私は2019年1月に病院にてADHDの診断を受けましたが、正直な感想は「やっぱりね」でした。

今回の記事ではADHDの私の幼少期を少し振り返ってみます。

ADHDとは?

ありがたいことに今やかなり世間に知られるようになった発達障害の一種であり、

よく注意欠如多動性障害

と言われることが多いです。

Twitterでトレンド入りなどもしましたよね。

今や検索するとイヤというほど出てきますが

代表的なのが

・不注意

・衝動性

・多動性

です。

めちゃくちゃ雑に自分を説明するのであれば

「遅刻や忘れ物、うっかりミスが多く先延ばしもよくする。目先のことにしか視点がいかず長期的な思考力がない」

といったところでしょうか。

①不注意

ADHDといえばこれ!とイメージした方も多いのではないのでしょうか。

うっかりミス、ケアレスミス、忘れ物無くし物、遅刻など

一見すると誰でもあるよと言われますが

日常生活に支障を来すレベルで起こるなら軽視できません。

②衝動性

・後先を考えずに行動する

・目先の利益ばかり見る

・行動している最中は周りが見えなくなる

・異常なほど熱しやすく冷めやすい。飽きっぽい

などです。

ADHDの特徴として「片付けが苦手」

という人が多いですが

私がこのパターンで

流れとしては

欲しいと思ったものを買う↓

買ったことに満足し使わず部屋に置いたまま↓

でも、いつか使うかもしれないと思って捨てられない

この考えがあるので一向に部屋がモノで溢れています

(シンプルにどう片付けていいかわからない‥というのもありますが)

③多動性

・学校の授業中などに席を立ちウロウロする。

・じっとしていなきゃいけない局面で落ち着いていられない。

・身体はじっとしていても頭の中でいろんなことを考えていて「脳みそ多動」状態。

ADHDの人は疲れやすいと言う人が多いですが

この多動が原因なのではないか?と思います。

もちろん一概には言えませんが。

自分は授業中に席を立つことはありませんでしたが、脳内は今現在も多動状態です。

そして重要なことですが

同じADHDでも症状の強さや出方は人それぞれです。

これはあくまで私の症状ですのでご注意願います🙏


これから少しずつですが私自身のお話をさせてください。今回は小学生までのエピソードにしています。

幼稚園時代

私は幼稚園のとき、衝動性が強かったように思います。

遊具もすぐに飽きて違うことをしたり、

衝動的に気になっていた女の子にラブレターを書いて渡したんですが、返事が来る前に気持ちが冷めてしまったりしたことがあります。

「1人であの飛行機の遊具で遊びたい!」

と衝動的に登った遊具から降りられなくなり

先生が総出で探しに来たこともありました。

お遊戯会では他の人は全員まじめに歌を歌ったり演奏していましたが

私だけすぐ飽きて観客席の母さんを見つけて手を振ったり、演劇で踊ったウルトラマンの踊りをしていました。

幼稚園のときの通知表みたいなものには

「米粒くんは落ち着きがなく、順番が待てずに前の子と喧嘩したり思い通りに行かず泣いていることがありました。」と書かれていたり

通知表の「人の話を聞く」

という項目に年長の三学期までマルがつきませんでした。

小学生時代

小学校に入ると忘れ物が目立つようになりました。

教科書、ノート、筆箱など授業で必要なものは勿論のこと、

帰りに雨が止んでいたからと学校に傘を忘れたまま家に帰ったり、遊んでいる途中で暑くなって脱いだ上着を鉄棒に掛けたまま忘れるなど‥

母さんは頭を抱えたでしょうね😓

六年生の時ですが、三回ほど連続でプールの授業のときに水着を忘れたことがありました。

その二回目のときにHRで担任の先生から

「米粒くんは水着を忘れないように気をつけてね」

と名指しで念押しされたにも関わらず忘れてしまい、

当時はなぜか「自分は耳が悪いのではないか」

と思い小学生にして補聴器を買おうと考えていました。

そしてランドセルの中も常にぐちゃぐちゃで

母さんに怒られながら定期的にランドセル整理をしていました。

「整理ができない人は頭も悪くなる!」

とずっと言われていたのが記憶に新しいです。

6年生から友達と一緒に通い始めた塾でも

私はケアレスミスがかなり多く先生から

「米粒くんはなんでこんなに注意力がないの?」

とよく言われていました。

あと大人になってADHDについて調べて

「ADHDは空間認識能力が弱い」

というのがあったのですが

自分の中で合点がいったのが

当時の塾で図形で「サイコロの展開図」

という、バラバラになったサイコロを頭の中で組み立てて問題に答えるという問題が死ぬほど苦手だったことです。

先生からも「そんなに難しいこと?」

と言われてつきっきりで指導されましたが

全然理解できませんでした。

ちなみに分数小数含め計算問題はべらぼーに得意だったので余計ショックだったのを覚えています。

まとめ

幼稚園、小学校と書きましたが

大人になるにつれどんどん症状はひどくなっていきます😓

この時点ではまだADHDという概念もなかったでしょうし

精神科などに連れて行く必要もないと思われたんだと思います。

とくに小学校の頃までは得意な科目や苦手な科目もそこまで差はなかったですし

テストの点もむしろ割ととれていたので

周りからは

「人の話を聞かないワンパクなちょっと変わった子」

といった認識だったんではないでしょうか。

次回に続きます。




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