学生時代の経験から、僕は会食恐怖症になった。その13
米粒です!
今回は少し前回よりは短くはなりますが
大学の頃のお話をしていきます
県外へ!
自分は生まれてからずっと福岡だったのですが
初めて他県に引っ越しをしました
‥と言っても母方の祖父の家だったのですが(笑)
父親と大学になっても一緒に暮らすのが嫌で
他県に住む祖父の家から通える地域の大学に行くことにしたからです
4月から県外の大学ですし
塾も辞めて福岡に残る意味はなかったので
自分は一月から県外に行きました
生活費を稼ぐために県外でもバイトを探して
福岡のときにしたいと思っていたピザ屋に応募して合格、土地勘はなかったですが何回もシフトに入ったり、ポスティングをして覚えました
特に2月や3月はまだ大学が始まっていなかったので実質フリーターくらいにシフトに入っていました
なので大学が始まる頃にはもう配達はかなり慣れていました
そして祖父の家から大学に通うつもりでいましたが
祖父が体調を崩してしまい1人にしてほしいという理由から
自分は大学から歩いて5分の場所でアパートを借りて初の1人暮らし生活もスタートしました
入学!
そしてあっという間に4月になり、自分は県外の大学に入学しました
入学式の少し前に、自分はオシャレが大好きだったこともあり
当時のUVERworldのTAKUYA∞がしていたサイドのメッシュを真似て片側だけブリーチをし
さらに目立ちたいと思い
もともと両耳にピアスは空いていたのですがそれにフェイクピアスも混ぜて両耳で7個くらいつけて入学式に参加しました
自分の友達も大学に入学したとき派手な人がいたという話も聞いていましたし
自分くらい派手な人もいるだろうと思い入学ホールに入ると唖然としました
自分の大学は1学年が200人弱とかなり少なく
さらにホールにはみんな黒髪ショートの真面目な人たちばかりでした
「うわー場所間違えた」
と思い後ろのほうに座ると、偶然自分の横に明るい茶色に染めている男子が座ってきて
「すごいねその髪とピアス!」
と話しかけてくれました
その男子とすぐに仲良くなり
そして他にも怖がるのでなく自分の髪やピアスに興味があった人が話しかけてくれて割とすんなり入学式は終わりました
そのかわり「なんなんあいつ、やばすぎ!」
という女子の声は多かったとのちに聞きましたが‥
学食で苦戦
そして学生生活は順風満帆に見えましたが、やはり自分を苦しめたのは食事でした
大学も取る授業にもよりますがだいたいは普通に昼休みを挟むので食堂でみんなでご飯を食べます
しかし小学校時代から食に苦しんでいた自分は
やはり一人前の学食も入りませんでした
専門のときと同じく少しいじられましたが
自分が年上だったので(専門と浪人を経ているので、周りはみんな2つ下)そこまで言ってくる人もいませんでした
それはよかったのですが
大学はひとコマ90分と長く
5限目までになると午後18時などになるので
そのころにはガス欠のようになっていました
自分の胃袋は、ものすごくタンク容量の小さく燃費も悪いミニバイクと思ってもらったらわかりやすいかもしれません
一気に多量のガソリンは入らないですが何回も給油しないといけない感じです
小腹を満たすためにお菓子なども持ってきていましたがそれだけでも足りず
学食は閉まるのが早かったので食べ直すこともできず‥
びっくりしたのが小さい大学なので売店がなく、大学に売っている食べ物は休憩スペースの自販機にあるカロリーメイトだけで
それもみんなが欲しがるのでいつも売り切れでした
なので自分は
昼ごはんを少なめしかとれない→5限までもたない→集中できない→イライラする
というのを繰り返していました
5限が終わって用事がないなら家に帰ってすぐ食べればいいですが
遊びに行ったりバイトに行ったりしていたので
ひどい時は講義中に空腹の限界が来て講義を抜けて家にカップラーメンを食べに帰ったりしていました
退学
これは長くなるので別の記事で話すことになると思いますが、自分はずっと興味のない大学生活に疑問を感じていて
さらには「祖父の家から通うこと前提だった」
というのが1人暮らしをすることにより1人暮らしの初期費用やら家賃やらが多くかかり、
学費が大変だと母親から知らされました
奨学金は借りていたものの、初めての1人暮らしで父親からの呪縛が解けた自分は単車の免許を取ったり遊びに出かけまくって散財していたので
バイトの費用でも少し足らなくなっていて
「それだったらもう大学いいかな‥?」
と考えるようにもなり、とある出来事をきっかけに自分は大学を中退することにしました
すぐすぐは退学しなかったものの授業に出る気はなく、ピザ屋のバイトにまたフリーターくらいのシフトで入っていました
そして12月にやっと母親が都合がつき大学に来て話し合いをし、除籍扱いでの退学になりました
次の年の2月から、再び福岡で生活することになりました
続きます。