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I love you.の訳し方

 「月が綺麗ですね」。あまりにも有名な漱石の逸話だが、私はなんて訳せばいいだろう。文学の学士をとっておいて、ライティングを仕事にしておいて、よくもこれまで考える機会がなかったものだな、と思う。

 Twitterでバズるツイートは往々にして言い切り形だ。140文字でいかにインパクトを与えるかが勝負だからかな。そのせいか、主語が大きくなりがちで、喧々諤々の大議論が起きている。その分、深く共感する人々もいるようだ。私はコピーを書く時でも、こんな日記を書く時でも、誤解を与えないように予防線を張り巡らせる癖がある。関西弁の「知らんけど」みたいなものかな。それが時にはコピーを汚し、散文に書かれた素直な感情を濁していて、これはいけない、どうにかしたいと思っている。ある程度、発言に無責任になりたい。それなら書き癖をつけようと、とりあえず今夜は“I love you.”を訳す。

 私は、愛している人に「愛している」と言わない。なにも含みはなく、未熟でなかなか言えないだけ。それなら愛している人にしか言わない言葉を選び取ればいいのかな、と考えてみたらまずひとつは、「忘れたくない」かもしれない。小さな頃から、涙を堪えるほど幸せな時間はいつも「忘れたくない」という言葉で頭がいっぱいになっている。これも口に出せば「愛している」と伝えているのと同じことだって自覚があるから、なかなか言わない。
 私にとって「忘れたくない」はダイレクトに“I love you.”の訳だが、同じように「忘れたい」も愛だった。さらに言えば、「忘れて」も愛だ。「忘れたくない」はしみじみとして切実な愛だと思う。「忘れたい」は胸に痛い愛、「忘れて」は献身的に見えてナルシスティックで陶酔的な愛(これを愛と呼ばない人もたくさんいる気がする)。最後のひとつ、「忘れないで」。これも確かに愛だが、腹に何か抱えた愛だ。ほとんど呪いとも思えるけど、この中でいちばん強い。怒りにも恨みにも復讐にも似てる気持ち。私はもう、「忘れないで」と思っていた人に、もう「忘れたい」とも、「忘れて」とも、ましてや「忘れたくない」なんて感じない。「忘れたくない」→「忘れて」→「忘れたい」→「忘れないで」→忘却という恋の段階なのかもしれない。和歌集の恋の段の配列に使えそう。私はまだ、「忘れないで」より強い憎悪の言葉を知らない。

 愛は不可視だから、不安になって可視化させたがったり定義したりしたくなるのかもしれないが、見えないおかげでこんなに豊かなのだろう。私の中ですらいくつもあった。自分の中で定義してもよいが、押し付けてはいけない気がする。そういうわけで、Twitterでバズりがちな「本当に愛される女は〜高身長キレイ系モニャモニャ」とか「低身長たぬき顔が好きな男は低所得モニャモニャ」とか「愛されたいなら自立モニャモニャ」とか書いてあるツイートは好きになれない。愛について書いたようで、実は今回はただの愚痴だった(ツイートするだけで押し付けたことにはならない気もするけど。たまたまバズっただけ)。ああ、また「知らんけど」が出てしまった……。

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