自己像と香水の関係(canoma「4-10 乙女」)
香水をつけるようになって6年、愛用の銘柄はいくつか変わった。初めはChloe「ラブクロエ」。ティッシュのような粉っぽい感じが苦手になった。次がLANVIN「エクラドゥアルページュ」。この香りの人が街に溢れてて嫌になった。次がJO MALONE「ピオニーアンドブラッシュスエード」。これは気に入って何本も使った。私に似合っている気がして嬉しかったが、自殺以外のことを考えなかった時期に使っていて、トラウマを想起させるので使えなくなった。あの香りの私をこの世から消したくなって新しい香水を漫然と探していたのが、ここ数ヶ月。
5月、原宿のアットコスメストアで30分時間を潰すことになった。私の気持ちはMaison Margiela「jazz club」に決まっていたのだが、見覚えのある柄の香水瓶を見かけて手に取ったのがcanoma「4-10 乙女」。まろっとした感じの瓶に、源氏香の香の図が書いてある。私の中で源氏物語のオトメといえば「少女」だったので、それらが結びつくのに時間がかかった。ムエットに吹いて確かめてみると、猛烈に気に入ってしまった。正確に言うと、嗅いだその時は「フム(*^^*)」と思ったのが、家に帰ってもう一度嗅ぐと「‼️‼️‼️‼️」となったのだ。どうやら数週間待てばPOPUPをやるということだったので、クリエイターさん本人の手から買うために買うのは少し我慢した。そこから週末が来る度に、ひとりで新宿のNOSE SHOPに通って嗅ぎ続けた。
クリエイターの渡辺さんは、noteの文体の通りの雰囲気の人だった。文体と本人の雰囲気に乖離のない人は個人的には珍しいと思ったので印象的だ。「早蕨と乙女で悩んでいる(ほぼ乙女に決まっているのに)。早蕨は似合わない」と言ったら、「乙女がお似合いです」と言ってくれた。後々彼のnoteを読むと、「似合わない香水はない」と言っていたので、恐らくほぼ乙女に心が決まっているだろうことを察知して背中を押してくれたのだろう。ありがとうございました(似合わない香水がないのとより似合う香水があるのとはまた別の話だからわからないけど)。
乙女をつけてみると、私は元来香水嫌いだったということに気がついた。乙女はえづくような感覚もなく、すっと肌に吸い込まれてくれたので、やっと自覚した。そもそも鼻が敏感なんだ。毎日街の臭いに耐えきれず嘔吐しそうだし、10年以上前の元彼の匂いも鮮やかだ(彼との思い出は全て忘却した。いい人ということだけ覚えている)。香水の香りを個人的に楽しむためにつけていたというよりかは、「私はこう(ありたい)」像と一致する香りをつけることで、自分にも周りにも自己像を言い聞かせるためにつけていた。それは快感を伴う。
そもそも私はセルフイメージを持つことが非常に苦手だった。他人の似顔絵はそこそこ描けても自分の顔がわからない。自分の学力を非常に低く(高く)見積もっていた。自分の体型がわからない(BMI28でも太っていないと思っていたし、19で太っていると思っていた)。境界性パーソナリティ障害というのは、自己像が曖昧なことがかなり深く関わってくるようだ。
そういう理由で、香水を安心したくてつけているような気がする。鏡を見てちゃんと自分だ、と確認している気分だ。やっと私に鏡像段階が訪れた。
canomaの「乙女」は、私に似合う(ようになれる)ならそれはとてもうれしい、というような香りだ。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』のワンシーンに着想を得た香りらしい。湿度が高く、暗く、清く、瑞々しく、澄んでいて、コンパクトな香り。ああ、ちゃんと綺麗に生きよう。と思える。こんな香水の使い方は浅ましいだろうか、私はいつまで「自分自分」なんだ、まだ自我を確立する過程なのか、誰だって本当はこうなのだろうか。
と、こちゃこちゃ考えている時に友人に「乙女」を嗅がせてみると、「いい女の匂いがする‼️‼️‼️‼️」とでかい声で言っていた。もう難しく考えるのをやめた。