ラジオの「メール職人」になりたかった
昔から、良くも悪くも、私は「真面目」である。
冗談も言えない、思い付かない。
一度も染めたことのない黒髪で、クラスの端っこで本を読んでそうな雰囲気の、「普通」の女の子だ。
そんな私が、ある日、ラジオと出会い、メール投稿が、趣味の1つになった。
その時のことは、今でも鮮明に覚えている。
あの夜、私は、誰もが名前を知っている芸人さんのラジオを聞いていた。
番組の中で、ちょっとした企画を考えるコーナーをやっていたので、なんとなく、「こういうのはどうですか」と、メールをしてみた。
しばらくして、そのコーナーが始まった。
パーソナリティが、リスナーからのメールを紹介していく。
盛り上がる企画もあり、時にパーソナリティがツッコミを入れる企画もあるが、どれも私が書いたものではない。
そして、最後のメールを紹介し始めた。
「続いて、ラジオネーム…」と、パーソナリティが、メールを読み始める。
その言葉に続いて、「ねこのしっぽ」という、私のラジオネームが聞こえた。
その瞬間、私は、今まで経験したことのない嬉しさと、トキメキに出会った。
その日は、一日中、ふわふわした気持ちになるほどの高揚感だった。
それから、私のメール投稿人生が始まる。
ラジオが好きになり、多くの番組を聞いてメールを送るようになると同時に、「またメールを採用されたい」「もっと面白いネタを書きたい」という思いは、どんどん募っていく。
あの時の「メールを読まれた快感」が忘れられないからだ。
しかし、人気のラジオ番組でメールを読まれるというのは、実際にメールを投稿してみると、思っていた以上に、簡単なことではないと気付く。
正直、「メールを読まれる」ことだけを目指すならば、リスナーが少ないラジオに送れば、すぐに目的は達成できる。
しかし、私が目指しているのは、そこではない。
「あの、私が大好きな人気番組で、自分のメールを読まれたい」のだ。
もちろん、人気番組であればあるほど、メールの投稿数は多く、読まれるハードルも高くなっていく。
メールの書き方や、ネタの探し方などを、ネットで検索して勉強したり、自分であれこれ試行錯誤してみるも、なかなか越えられないハードルに、何度も何度も挫折しかけた。
しかし、諦めずに送り続けていると、たまには軽くヒットも出るようで、読まれることもある。
そして、また得てしまった快感が忘れられずに、メールを書き続けるのだ。
ある意味、ギャンブルや麻薬のようなものだとさえ思う。
全身全霊をかけて、メール投稿を続けていたある日、ふと、「あ、これが私の限界だな」と思う瞬間が訪れた。
誰もが知るような超人気番組で、一度だけ、私のメールが採用されたのだ。
それは、私が、1週間練りに練って、ずーっとそのネタだけを考え続けた結果、やっとの思いで採用された1通だった。
「あの番組で採用された」という嬉しさと共に、私は、「ここまでしないと、この番組で1通採用されることすらできないのか」と、絶望した。
その番組でも、いわゆる"メール職人"、昔で言うところの''ハガキ職人"と呼ばれる人達は、大勢いる。
そのメール職人達は、この番組ではもちろん、他の番組でも、たくさんのメールを採用されている。
つまり、私が1週間かけて、やっと1通採用まで辿り着けたことを、その人達は、1週間で、何通も、何十通も、様々な番組で行っているのだ。
もしかしたら、私も努力次第では、そのホームランが何本も打てる日が、来るのかもしれない。
いつも採用されているメール職人達だって、血の滲むような努力があって、今があるはずだ。
しかし、もし私がそこを目指すのならば、私にとって、それはただの苦行であり、もはや趣味とは呼べない。
そう思い、私は、メール採用に縛られるラジオの聞き方を止めた。
今では、やみくもにメールを考えることはせず、送ってみたいなと思ったタイミングや、この話題なら参加したいなと思った場合に、メールを書くようにしている。
そのため、前に比べれば、採用される頻度はかなり減ったが、楽しみながら投稿をすることができている。
また、私が「真面目」で「普通」な性格であるからこそ、書けるメールもあるんだなと気づいた。
面白いメールを送って、ラジオ好きなら誰もが名前を知っているような"メール職人"になれたら、それが本望ではあるが、急に、ポンポン面白いことを思い付くような人間にはなれない。
真面目だからこそ書けるメール、普通のことを普通に書くメールが、求められる場面もある。
それに気付けた時、「あ!ここが、私が輝ける居場所なんだ!」と思った。
ただ、そんな「教科書通り」な私のメールは、面白いメールのフリに使われることが、しばしばある。
どんな読まれ方であろうと、ラジオでメールを読まれれば、嬉しい気持ちはもちろんある。
とはいえ、正直なことを言うと、あくまで脇役となってしまうことに、悔しい思いをすることも、少なくはない。
だから、最近は、こう考えるようにしている。
「私のメールで、他の誰かがもっと輝くのならば、それは素敵なことだ」と。
綺麗事ではあるが、その盛り上がりに、自分もひと噛みできたなら、それは喜ばしいことなのだ。
脇役として輝く人生も、悪くない。
主役だけでは、どんな面白い物語も、成立しないのだから。
ただ、やっと見つけた自分の居場所にも、1つだけ難点がある。
名だたるメール職人というのは、"ふつおた"を書くことも、抜群に上手いのである。
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