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飲み会は2時間もたない

年が明け、仕事が始まった。

昨年から企画していた、新年会があった。


色んな組織で働いてきたが、今ほどドメスティックで田舎の集落のような組織で働いたのは始めてだ。基本的に誰も飲みに行かないし、行けば行ったでいつもの愚痴が始まる。

どうして人は愚痴を言いたいのだ。いや、別に言っても構わない。たまには言いたい時もある。しかし、それを毎回、何時間も言い続けるというのは如何なものか。また、Aさんがいる時にはBさんの悪口を、BさんがいなければAさんの悪口を、それぞれが言う。つまりこれは、人の悪口を2倍(飲み会2回分)聞かなくてはいけないことになる。なんなんだこれは。

人の悪口を言って自分を正当化したいのかもしれないが、そんなことに時間を割くくらいならもっと仕事を効率よく進めるように口及び脳みそを使っていただきたいと思うのだが、愚痴に言い慣れた人たちはもはや脊髄反射なんだろう、考える前に愚痴が出ている。びっくりする。


そういうわけで、めんどくさかったので、ありとあらゆる人を誘った。私基準で。私が飲みたい人と飲む。誘った人が連れていきたいという人がいれば呼んでもらう。でもここは私が中心の会ではない。飲みたい、話したいと思う人だけが来ればいい。そういう場にした。結果、15人ほど来てくれた。声をかけていない人もいる。新年会の存在は、職場に居れば伝わったはず。仲間外れにしたつもりはない。来たかったら「行きたい」と言ってくれればいい。「いいなあ誘われたかったなあ」そう陰で言っている人も居たという。来たければ声を挙げろ、伝えたいならきちんと面と向かって言え。

多分、今までにない飲み会だった。隣の島なのに喋ったことない人たちと、仕事以外の場で繋がれた。ああ、これが仕事をしていく上であるべき姿じゃないのかな、そう思った。

しかし次第に悪口が出てくる。15人居れば、この中に存在しない人の話になり、共通して話せる話題として挙げられる。もう、その時点で嫌だった。あほくさ。今ここでそれ話してどうするの。お酒不味くなるじゃん。

時計を見た。開催から2時間。ああもう限界。

まだ場が盛り上がっている中、そっとコートと鞄を持つ。お金だけ渡して、先輩に「じゃあ、次があるんで失礼します」と告げる。えっ、と一瞬空気が淀む。でも気にしない。笑顔で「お先に失礼します」と去る。

帰りたそうにしていた女の子がいたから、そっと声をかけて一緒に出た。帰り道、「ありがとうございます」と言われた。

ああ、多分、今度は私の悪口が始まっているな。そう思いながら、冬の街を、駅に向かって二人で歩いた。



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