ロールモデルを探すより
(写真は、宝塚好きならご存じ、ソリオ宝塚でゲットした乙女餅です)
「こんな人になりたい」というような憧れの人の像を、人はどれくらい持っているものだろうか。
学生時代、就職している先輩たちの眩しさに憧れた。
新卒で入った会社は、女性総合職を2年前から本格的に採用したばかりで、配属になった事業所には女性総合職は誰も居なかった。だからこそ、私はブルドーザーのように「女性総合職のロールモデル」を作り上げるべきだったのだろうけど、私自身が、目指すべきロールモデルをそこでイメージできずに、転職をした。
その後入った会社は女性だらけの職場ではあったが、凄いなと思う女性だらけで、自分とはかけ離れた存在にしか感じることができず、その職場もその後離れた。
というように、二十代の頃はずっと、ロールモデルを探していた。今思えば、何だかなあと思う。「あのレールに乗ることができれば、自分も理想の自分になれるではないか」と思いながら、東京という大海の中で、あるはずもない一本のレールを探しながら潜り続けた。
そうしているうちに、苦しいなと感じるようになった。気づいたら、溺れていたのだ。波にさらわれたのだ。
「ああなりたい」「あの人に近づきたい」
その憧れは、生きていく上での活力になる。目指すべきものがあることで、生きている感じもある。
しかし、彼女は彼女。わたしはわたしなのである。
ロールモデルなんていない。そんなものを探す意味はない。
それよりも、私が今この海原で、太陽の光を浴びながら、どれだけ楽しく航海できるか。それが大事だと気づいたのは、まだほんの数年前のこと。
たどり着くのはどこだか分からない。だけど、私は楽しい。
誰かを、何かを目指して歩くことよりも、今ここにいる私と、今そこにいるあなたと、今ここに立っていることに喜びを感じれる。それだけで充分だと感じるのです。
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