3月11日を振り返る。(備忘録として)
2011年までは、私にとって3月11日は、父の誕生日だった。(もちろん今でもそうなのだが)
あの日も、そう、誕生日だな、と思っていた。当時都内で働いていた自分。偶然父が仕事の出張で東京に来るということで、夕飯を一緒に食べようと思っていた。場所は決めていなかったが、父の出張先に近い新宿界隈かなあと考えていた午前中。
天気の良い金曜日。仕事も特にトラブルもなく、明日は土日だ、と、職場も若干休日モードに入っていた。案の定、上司たちが「調査に行って来る」と外出した。なに、外出って。どうせその辺うろうろしてるだけでしょ、という感じで、職場に残された私たちは、いつも通り仕事をしていた。千代田区のとある高層ビル。ガラス張りの窓。快晴。気持ちよかった。
そう、その数日前に、確か地震があったんだっっけ。その時は別に何も気にしていなかった。
14時46分。揺れた。突き上げる揺れかと思ったら、横に揺れた。20階に居たので、余計に揺れた。気持ち悪い揺れを感じながら、次第に揺れが強くなる。何これ何これ、周りが動揺する。とりあえず、机の下?潜ったような、潜らなかったような。机のPCが倒れる人もいた。何が起こっているのかよくわからなかった。外を見ると、ブラインドがシャランシャラン揺れていて、その奥に見えるお台場のビル群が、ぐにゃぐにゃしていた。ああ、今、このビルもこんな感じなのか。そんなことを思いながら、揺れが収まるのを待った。5分もすると、落ち着いた。みんなでネットやケータイを見た。東北で大きな地震が会ったらしい。っていうか東京もすごかった。父は、家族は、大丈夫だろうか。急いで父に電話する。ケータイは繋がらない。実家の母に電話した。すぐに母が出て、中部地方の揺れは酷くなかったという。父に電話は繋がったか?と聞くと、かけていない、という。馬鹿野郎。電話を切り、なんども父に電話をする。ケータイ網は混戦していて、繋がらないようだった。もう一度実家に電話をし、父の勤務先の電話番号を聞く。勤務先に電話をするが、繋がらない。そりゃ、都内、みんな大変なことになっているよな。
家族のことを気にしている場合ではない。私の職場、私の仕事。どうなる、どうなる。まず、このビルのエレベーターを確認する。動いているらしい。でも、乗るの怖いよな、と思う。提供していたサービスが混戦している。なんとかしなくては、その前に、写真はみんな帰れるのか、これからの対応は。余震は続いた。提供するサービスの一時中止、今利用していただいているお客様への対応、コールセンターの状況把握。トラブルを起こしている現場はないか。色んなことを目まぐるしく確認する。何人かの社員が、「今から銀座に行って来るけど、靴いる人〜?」と声をかけてくれた。電車が止まっているから、歩いて帰らなくてはいけないだろうと、スニーカーと靴下を買いに行くという。私は幸いスニーカーを持っていた。テレビを繋げながら、この地震の状況を把握する。電車は動かない、帰れない。ようやく父と電話が繋がる。無事だった。ホッとした。
午後6時過ぎ、歩いて帰れるやつは歩いて帰れ、という話になる。私は歩いて帰れなくない。同じ方面の派遣さんが居て、一緒に帰ることにした。街へ出ると、外は人に溢れていた。歩きながら、余震を感じる。揺れると怖いね。じゃあ、揺れを感じないようにしよう。コンビニで缶ビールを買った。そんなサラリーマンがいっぱい居た。なんて平和なんだ。そう思った。歩いて2時間、うちに帰れた。彼女はもう少し先の方。私は自転車を貸した。
家に帰ったあと、当時一緒に暮らして居たルームメートが帰宅した。彼女はなんとか電車に乗れたという。その夜、横浜の家に帰れなくなったという友人を家に招いて、その日は3人で過ごした。
そんな3月11日だった。
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