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少しでも、誰かの記憶に残るなら。少しでも、生きた証になるのなら。

今まで色々な本を読んできたつもりではあります。幼い頃から図書館に通うのが好きで、今でこそ配信を見ることが主になって、紙の本を読むことは少なくなったけれど、それでもnoteも含めて字を読むことは好きです。

小説よりはノンフィクションが好き。伝記を読み漁った時代もあったくらい。私も小さい頃から人とは少し違う人生を歩んできた自負はあるので、いつか自分のことを本に出来たら、という思いはずっと抱いてきました。

その割には一度も何かに応募したことはなく、むしろ今回のようなお題について考えると、普段のような文章は書けなくなってしまうんですよね。読むのは好き。フリーであれば、私も書くことは出来る。でもそれって、日記とはどう違うの?みたいな感覚でいて。

エッセイと日記ってどう違うのかしら。随筆とエッセイってどう違うのかしら。自分の経験を書くことをリアルタイムで20年以上続けてきた身としては、そろそろ何かに纏めたいな、と思っても場違いではない気がしていて。

30年と少しの人生を歩んできて、結婚したという意味では、一つの幸せを手に入れました。発達障害やうつ病を抱えて生きてきたという意味では、暗い部分もまだまだ自分の中にあると思っています。今は夫君という大切な存在が出来て、支えられて支えて生きているからこそ、多分少なからず良い意味で気を張って生きることが出来ているんだろうなと思っています。

足の踏み場もない家で育って、親より祖父母に懐いてしまって確執が生まれ、良いことの記憶なんてほとんど残っていなくて、ツライ記憶ばかりが脳には残ってしまっています。夫君曰く「悪い記憶は消えている」らしいのですが。

人が好きだけど人見知りで、一時は人間不信に陥って。発達障害なんて言葉は弟がなっていなかったら知るキッカケがなくて。うつ病が知られてきた頃に「私に当てはまることがあり過ぎる」ということで、半ば強引に精神科に連れて行ってもらって判明して。

処方薬が多すぎて、ある意味薬中になって。精神の極端なアップダウンや自傷を繰り返して、ワンナイトならぬワンデーを繰り返した時期もあります。「こいつ誰にでも股開くぞw」と2ちゃんに晒されたこともありました。

恋愛とは呼べない恋愛を何度も経て、実家から出たい一心でした。人間関係が男女共にうまくいかなくて、いつだって支えてくれたのはネットでした。夫君との出会いだってマッチングアプリ。昔で言う出会い系です。そのネットに私は救われたし、今でも救われています。

そんなネットの世界からリアルの世界に、こんな細々と、でも長く居続けている私が、何か伝えられることがあれば。自分の自伝的なものを、有名でも何でもないただの私が、こんな生き方をしてきたんだと。何度も挫けて、何度も這い上がって、歩いてきた私を知ってもらいたい。

有名になりたいとかいうよりは、私という存在を知ってもらいたい。私の生き様を知ってもらいたい。何が自慢出来るでもない、何かが秀でているとも思えない。ただ20年以上、生き様をネットに綴って来た。それを知ってもらえれば。

私という1人の言うなれば精神障害者、発達障害者が、生きづらいかどうかも判らず過ごしてきた人生を、これが本当に生きづらいと言える人生なのかどうか、第三者のその目で判断していただければ、と思うのです。

少しでも、誰かの記憶に残るなら。少しでも、生きた証になるのなら。

#創作大賞2023

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