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Creepy Nuts/バレる!の歌詞考察

『板の上の魔物』がM-1グランプリの公式動画のBGMに起用されてから数ヶ月、今度は新生R-1グランプリのテーマソングを書き下ろしたCreepy Nuts。
巷では、Creepy Nutsは粗品(霜降り明星)、野田クリスタル(マヂカルラブリー)に続くお笑い賞レース二冠を達成したなどと言われている。

今大会は概要発表から波乱の連続だった。
昨年11月末、出場資格が芸歴10年以下と定められたことでおいでやす小田、こがけんらベテラン勢は一夜にしてR-1から卒業を余儀なくされた。その数日後に行われたM-1グランプリの準決勝では、上記二人で結成された即席ユニット・おいでやすこがはツカミでR-1への恨み節をこぼして客の空気を掴んだ。勢いをそのままに逆境を跳ね返した彼らはM-1準優勝を果たし、年末には彼らを見ない日はないほどだった。
一昨年のR-1覇者・粗品は霜降り明星として総合司会を務め、昨年の覇者・野田クリスタルは審査員を務めるという。
様々な面で旧・R-1ぐらんぷりから大幅リニューアルを敢行した新生R-1グランプリは、テーマソングをCreepy Nutsに依頼した。

『板の上の魔物』は1MC1DJのCreepy Nutsと『べしゃり暮らし』内に登場する漫才コンビ「きそばAT」の二組がクロスオーバーする、「二人組がマイク一本で賞レースに挑み成り上がろうとする姿」を描いた作品だった。

客がパンパンでもスカスカでもぶちかますだけ
(Creepy Nuts/板の上の魔物より抜粋)

というフレーズは期せずしてコロナ禍のお笑い情勢とダブる部分があり、動画に起用された必然性を感じた。

今作『バレる!』では、『板の上の魔物』とは違う視点でラッパーと芸人の共通項を歌詞に綴っている。
R曰く、「芸歴10年以下のニュースター、新しい才能が世の中に『バレる』瞬間」を描いているという。
その「バレる」という言葉の意味合いの変化に注目しつつ歌詞を見ていこうと思う。

何事も極めていくと先人の足跡は見えなくなる。
どんどん深層へ潜っていくRPGのダンジョンか、はたまた奇怪な形に進化を遂げた深海の魚か。そこには先人の足跡はなく、見渡す限りすべてが未踏の地である。
新しいことに挑んでいる、その状況に興奮しながらも、落ち着かなければならないと自問自答して煙草に火をつける。
ヘビースモーカーであるRのきったねえ肺はすでに灰色の珊瑚礁の如く機能を失っている。しかし、それは過去の挑戦の証であり名誉の負傷なのだ。
揺蕩う煙の量に比例して頭に浮かんでくる新たなアイデアは絶えることがない。

ネタ、楽曲、その形は様々だが、表現物は表現者そのものが滲み出ている。
その美しさ、おもしろさ、完成度を競っては、毎年幾千の歴戦の勇者たちが散っていった。
負けたらまた勇者たちがひしめくあの地下牢からのスタートになる​────そう考えると彼らが血眼になって「自画像」を仕上げ、頂点を極めようとするのも理解できる。
そして、毎年選ばれし者だけが世間様に顔見せして衝撃を与える権利を得ることができるのだ。

wow yeah」「wow yeah」「」「増える」「Who's next?」「数千」「」「彗星」で[ue]で頭韻。
また、「wow yeah ちょっと」「wow yeah どこ」で[oo]、
「数千のしかばね」「上も下も」で[oia]と、部分的に韻が絡み合っている。

「曲がり角」「足跡」「肺に酸素」「色の珊瑚礁」「百鬼夜行」「な自画像」「かき分け」「が血眼」「な地下牢」「蓄えた力を」で[aiao]で脚韻。
また、「これ」「高鳴り」「アイデア」「えがき出す」「画期的」「末期的」で[ai]が絡んでいる。

さえ」「くり込む」で[o]で頭韻。

灰色の珊瑚礁」とは、珊瑚礁が死んで白化した状態を指す。
また、珊瑚礁のような姿形をしている肺胞が、煙草に侵され黒ずんで機能が低下している様子とも意味を掛けている。

極限まで完成度を高めた「自画像」は、感性が錆び付いた老いぼれには理解されない。
若者が作り込んだ自画像のその意図を理解できずアレコレ勝手なことを喚き散らすのは、感性が鈍った証左で恥ずべきことだ。一線を退くべきなのに、彼らは我が物顔で審査員席にまでノコノコやってくる。
そりゃインスタライブで文句のひとつも言いたくなる気持ちもわかる。

前評判は充分だ。現場に足を運ぶファンには優勝も噂されている。
自分でも今年の「自画像」は過去に類を見ない発明なのかもしれないと思ってしまうほどだ。
明日は地上波で生中継される。
世間の評価がひっくり返ることを想像しただけで心が躍る。その逸る気持ちを抑えるため、彼はまた定位置の換気扇下で煙草に火をつけた。

びついた」「の」で[a]で頭韻。

老ぼれ」「退いとけ」「う」「呼び声」で[oioe]で脚韻。

邪魔」「I'm a」で[aa]で頭韻。

発明したのかも」「換気扇下のラボ」で[aueiiaoao]で脚韻。「換気扇」は[kanksen]のように「き」を子音しか発音しないことで語感踏みを成立させている。
また、「白線」「百戦錬磨」「wow yeah」「生中継」「革命前夜」で上記[aue-]と絡み、「百戦錬磨」「革命前夜」まで踏んでいる。

Hookに移る。

この「自画像」がバレて評価されてしまったら、きっと休みはなくなるだろう。
アンダーグラウンドで戦って泥水を啜ってきた生活は、きっと一変するだろう。
世間に見向きもされなかった自分が、街中で顔を指されることもあるだろう。
それは照れ隠しなのか自分でも分からないが、どこか面倒臭い気持ちもある。

もし評価されたら、今まで自分を見下してきたヘイターたちはどんな顔を浮かべるだろうか。絶望か嫉妬か、はたまたべソをかくか恥をかくか。
そんな奴らに詫びを入れさせ、ひれ伏させることができたらどんなに痛快だろう。
想像しただけで口角が上がってしまう自分に気づき、俺は何本目かの煙草に火をつけた。

バレる」×4「気づかれる」「haters」で[aeu]で脚韻。
「haters」の発音は[ˈhetɝz]であり、このときのRは比較的ネイティブ準拠の発音をしており、[ea]とも[eu]ともとれる。そのため、[eu]の脚韻と判定した。

天賦の才が」「面倒臭いな」で[enoaia]で脚韻。

吠え面」「all my」「取り敢えず」「ホレ」で[o-ai]で頭韻の語感踏み。

アカペラバージョンを聴くと、Hookの後半は裏拍にHa!という声ネタが乗っていることが分かる。
完成形の音源を聴いただけでは聴き取れない声ネタを聴けるからこそアカペラバージョンは面白いし、全曲につけて欲しい。

時は流れ、「自画像」は世間に浸透した後のこと。
あの頃とは打って変わって俺は陽のあたる場所に暮らすようになった。
人前に出れば拍手と歓声を浴び、地位名誉名声もある程度得られたように思える。
しかし、それにアイデンティティを感じることはかなり危険だ。他者からの評価に自分の軸を委ねることに他ならない。
「いま人気の〜」という枕詞はすぐに移り変わる。ちやほやされているのも一瞬かもしれない。軸がブレて消えていく人もたくさん見てきた。そう思っているからこそ、浮かれることなく地に足を着けていられるのだろう。

この世界に用意された椅子の数は限られている。
そして、ようやく確保した俺の椅子を狙う連中が周りにはうじゃうじゃいる。
週刊誌、詐欺紛いのピンハネで金策していた先輩、アンチ化した元ファン……敵はそこかしこに潜んでいる。
ひとつ綻びが見つかれば世間は一斉に掌を返すのだ。
残酷だがある種自業自得とも言える。だからこそ、身辺にはより一層の注意を払わねばならない。

「wow yeah」「歓」「冷静」「誉」「名声」で[ei]で踏んでいる。

沈着」「地に足」「地位」「ず物」で[i-a]で頭韻。

「当場所」「がとう」「パンドラ」で[a-ao]で脚韻。

」「分かっちゃ」「身体が麻痺してく」で[a]の連打。

いるくせに Ey」「ミステリ Ey」「身から錆 Ey」「椅子取りゲーム」「ミス命取り Ey」「一斉に」で[iuei-e]で不完全ながら脚韻。

叩き合う」「たった一度」で[aai]で頭韻。

世に出た瞬間は自分のことで精一杯だった。
あれから多少大人になって、白黒付けることなくグレーはグレーのままでなあなあにすることを覚えた。
「清濁併せ呑む」と言えば聞こえはいいが、果たしてあの頃の自分が見たらそれは保身だと蔑まれるだろうか。
それでも、今は自分たちを支えてくれるスタッフの有り難さに気づけたし、自分たちの活動が回り回って彼らの食い扶持にもなっている。
テレビを作るスタッフは狂っている訳じゃない。正気で面白いモノを作ろうと身を削っている。
レギュラー番組が始まりだんだん事情が分かってくれば、もう捨て身ではいられない。

「付けれない」「いられない」「惜しい」「放心」「保身」「本心」「oh shit!」で[eai]/[oi]で脚韻。

あの時、世間に提示した「自画像」は、結果的に世間に定着した。それは喜ばしいことだ。
そして、メディアはその「自画像」に映された一面だけを切り取って拡大解釈する。
「陰キャの代表」という切り取り方をされたCreepy Nutsは、ヤンキー文化と混同されがちなHIPHOPのパブリックイメージとの分かりやすい対比構造を求められることが増えた。

しかし、人は一面だけで成り立っている訳ではない。

変わり続けてく多面体
(Creepy Nuts/かつて天才だった俺たちへより抜粋)

なのだ。
それでも、「自画像」に映されなかった多くの面は、メディアの限りあるリソースには乗せることが出来ず、結果的に無視される形になる。

かつて、「人見知り芸人」というラベルを貼られた先人は、人見知りを克服した後も長いこと「人見知りキャラ」を演じなければいけない場面がもどかしかったと話した。
また、「モテないキャラ」を前面に押し出していた先人は、女優との結婚を発表するときにラジオで「リスナーを裏切ることになるのではないか」と泣いた。

あの日提示した「自画像」に込められた自分らしさのエッセンスが、回り回って皮肉なことに自分の首を絞めることになるとは思いもしなかった。
いま、メディアに求められている「自分らしさ」とは、その昔「自画像」に込めたたった一面でしかないのだ。

あの頃から比べれば、俺達はだいぶ成長したし変化した。もうその一面も今や昔だ。
だからこそ、今の自分の考え方と世間が求める「自分らしさ」の乖離に苦しみ、本当の自分とは何なのか?と自問自答してしまうのだ。

叫び」「ばかり」「演じ」「羽目に」で[aei]で脚韻。

求めら」「でも俺は」で[ooea]で頭韻。

」「居ない」「」「」「出ない」で[ai]で脚韻。

また、「あの味」は

あの店、あの味、あの景色も見なくなってから久しい
(Creepy Nuts/かいこより抜粋)

からのセルフサンプリング。

グレーに染まってしまったままならない自分がバレてしまったら、果たして価値はあるのだろうか。
いや、そもそも「自画像」に描かれた自分の姿に価値はあったのだろうか。
今はただの確変状態に過ぎなかったのか。一瞬話題になって世間を騒がせたつもりになっていただけだったのだろうか。
化けの皮が剥がされる頃、あの時眼前にひれ伏せたヘイターは水を得た魚のように元気を取り戻して、俺達のことを笑いものにするのだろうか。
あの時放った「ホレ見たことか!」という台詞が自分の背中を刺すことになるとは皮肉なものだな。そう思うと嗤うしかない。

バレる」×4「化けの皮」「剥がされる」「わらえる」で[aeu]で踏んでいる。

何にないや」「勘ちがいだった」で[ani-a/a]で脚韻。

「水を得た」「haters」で[ea]で脚韻。

「手をたたいて」「指さしてる」で[aie]で踏んでいる。

消費のサイクルが早まり、常に新しいものを求めるこの世の中では、一度成功したとしてもそのまま勝ち逃げするのは至難の業だ。
少し鍛錬を怠ればあの頃忌避していた「錆び付いたあの老いぼれ」に成り下がってしまう。

俺が負ける時、その相手は恐らくあの頃の俺のように目をらんらんと不気味に光らせて誰も寄せつけないような雰囲気を持つ奴だろう。

そして奴に殺されかけて瀕死になったって俺は死なない。
HIPHOPとは

三途の川のほとりスーサイドスクワッド
賽の河原で順番に待つ
そんな集団自殺者の救済企画
(テークエム/それじゃ無理 feat. R-指定, AKLO, NORIKIYOより抜粋)

だからだ。
石を積んでは蹴飛ばされる地獄のような鍛錬を経て、俺はまた顔を上げる。
陽の光を浴びたRはニヤリと微笑み、見えた歯と懐に忍ばせた刀身がキラリと光った。

そしてあの頃と同じ目で新たな引き出しを世間様に披露するのだ。

限り」「勝ち逃げ」「錆び」で[aii]で踏んでいる。

「できねーな」「さだめか」で[ea]で脚韻。

メッキを剥いだのは」「寝首を搔いたのは」で[e/ioaiaoa]で丸ごと踏んでいる。

でし」「三途の川」「賽の河原」「顔を上」「微笑ん」で[auoaa]で不完全脚韻。
また、「俺はまだ」「」「新たな」で[aaa]でも絡んでいる。

三度」「ニヤリ」「引き出し」で[iai]で踏んでいる。
また、「三(3)」「ニ(2)」「引(1)」と、韻の頭でHook前のカウントダウンを行っている。

三本目の刀を仕込み、また新たな武器とともに世間に衝撃を与えにいく。
何度同じサイクルを繰り返しても、新しい「自画像」を世間に披露するときの興奮は変わらない。
「自画像」が何枚も増えていくと、一重だった引き出しは幾重にも折り重なる。そして、自分が使える即戦力の武器が増えることで、どんな相手にもその場その場で対応できるようになる。

同じ場所にポジションを取り続けて勝ち逃げすることはできないかもしれない。
だからこそ、人はまた新たな居場所を見つけるために隠し持った武器を磨き次なる闘いに備えるのだ。
そして、一度コケたときに嗤ったヘイターたちに、もう一度目に物見せてやる。
それを想像すると、またニヤつきが止まらなくなる。
興奮を抑えるため、あの頃から少し性能が上がった換気扇の下で、俺はまた煙草に火をつけた。

R-指定の凄さは数あれど、タイアップ時に特に凄みを感じるのが「タイアップ対象と自分との共通項をうまい具合に抽象化し、多くの人が共感できる歌詞に落とし込む能力」だ。
今回で言えばVerse1→Hookの流れで文字通り芸能人(芸を能う人)の"芸"が世の中に「バレる」瞬間を歌い、Verse2以降は"芸"が世の中に「バレた」後の苦悩を歌っている。
Verse1→Hookの流れは滅茶苦茶技巧的な日本語の乗せ方をしながら、R-1の公式映像とのリンク具合も抜群という仕上がりになっている。

また、「バレる」というHookのフレーズも一番と二番とで真逆に捉えられる作りになっている。
ネガティブとポジティブが混ぜこぜになっている構造は『あちこちオードリー』で語っていた内容をそのまま反映しており、リリックがどんどんアップデートされていく姿にまた感銘を受けた。

数日後の3/7、R-1グランプリの決勝戦が行われる。
M-1のFatboy Slim/Because We Canのように、「バレる」は各芸人が披露するネタの出囃子にも使用される。
この曲は新たな芸人の才能が「バレる」瞬間に寄り添う曲になるのだ。
いちお笑いファンとして、今年のR-1がもっと楽しみになった。

#音楽 #歌詞 #CreepyNuts #R1グランプリ #R指定 #DJ松永 #考察 #コンテンツ会議 #バレる

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次のやる気にめちゃくちゃ繋がります。
歌詞がまだ公式に発表されていないので、公開され次第間違っている箇所は修正します。
(3/3 14:30追記 歌詞を修正し、一部の文章を加筆修正しました。)

ありがとうございます!!😂😂