He is my stereoman. Re: ー細美武士さんという名の憧憬ー
“This world is full of shit.”
世の中は、あまりにもクソだと思う。
不公平と不平等で成り立ち、溢れんばかりの理不尽で満たされた世間。人を露骨に傷つけるデマや嘘が横行し、露見されるべき真実は金で抑圧され潰される。世を支える政界の人間は愚か、駅や道端ですれ違う一般市民ですら、道徳1つ守れないクソ野郎ばかりだ。
「この世界はクソだ」
もしたった1度たりとも、そう気づいてしまったのなら、その後の人生で待っているのは、ただの惨たる地獄だ。生きているだけで、息が詰まりそうになるような、そんな感覚が半永久的に続くのだ。生きている限り、この耐え難い酸素の薄さは改善の見込みがない。
そんな私たちが、この血生臭く冷酷な世の中で、「清々しく息をし、心晴れやかに生きていきたい」と心底願うのなら、“自らこの世を去る”ことしか、もはや他に手立てはないだろう。
そんな絶望に満ちた真っ暗な日々の中で見つけた、唯一の光。
私と同じく、「この世界はクソである」と気づいていながらも、彼は眩いほど生彩に晴朗に息をし、歌い、そして生きていた。
クソまみれの世界を受け入れ、認め、半ば諦め、それでも負けじと、必死に生き続けていた。
「Good Morning Kids」
細美さんのその懐の広さに、器の大きさに、そして彼の強制的ではないアドバイスのような教えに、きっと私は救われ、故に彼に心底憧れたのだろう。
例えこの世界がどんなにクソであっても、自分までもがクソ野郎に成り下がる必要はない。この世から去る以外にも、いい空気を吸いながら胸を張って生きていく方法はある。
それはただ、抗うことだ。
私は彼から、そう教わった。
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物心ついた頃から、文章を書くことが好きだった。
今でも必ず年に最低でも4〜50冊以上は本を読むくらいには、活字を目でなぞることが好きなのだが、どちらかと言えば、私は書くことの方が好きだ。
自分の思いの丈、思い出、感想…全て、文で表現し、残しておきたい。それらを心と海馬の中だけに収めておいてしまうのは、どうにも不憫なことのように思える。そう思ってしまうのは、書きたいと欲してしまうのは、文士を気取る人間の業だろうか。
そんな元来の趣味の捌け口のため、昨年の夏からnoteを始めた。
細かいルールや慣しについては未だによく理解出来ていないままであるし、そもそも何かのツールを敷かれたレールに則り堅っ苦しいスタイルで丁重に扱うのは、私の性に合っていない。だから今日もこうして、自分の気の向くままに、奔放に、書きたいことを書きたい時に書きたいように書こうと思う。
noteを始めた時に私が1番最初に投稿した記事、
『細美武士さんという名の憧憬』。
細美武士さんが初めて自分の目の前に現れたあの日から、丸1年が経とうとしている。あの日以来、そして細美さんの音楽と出会ってから、更に細美さんの人間性に憧れてから、私の細美武士さんに対する印象と感情は、様々な表情と段階を踏みながら、刻一刻と変化してきた。
そして今も尚、変化の途上地点にある。
今日はそれらを全て引っ括めて、再度自分にとっての憧れの人の存在について、赤裸々に綴りたい。
『細美武士さんという名の憧憬』、リライト版だ。
敢えてタイトルも全く同じのまま再度記事を作ってやろうかと思ったけれど、それじゃあさすがに味気がないしロマンチックさが事足りないし、何より紛らわしいことこの上ない。
故に、今日はこんなタイトルを掲げることにした。
あれから1年という時間が経ち、細美武士さんというお人について知り尽くした今だからこそ、許されるであろうタイトル。
ELLEGARDEN・the HIATUS・MONOEYES、全てのバンドでのフロントマンとしての細美武士さんの存在を、きちんと頭と心に刻みつけることが出来た今だからこそ、使用許諾の下りるタイトル。
「He is my stereoman.」
意味はそのままだ。直訳してくれて構わない。
「彼は私の、ステレオマン。」
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前回同様、私個人のことをふんだんに交えた記事です。予めご了承下さい。「お前のことなんぞ知らん」という方はご遠慮下さい。
また、本稿での歌詞の和訳に関しましては、私個人が当てはめたものであり、公式の対訳とは異なっている点がありますことも、何卒ご了承頂きますようお願い申し上げます。
それでもお読み頂ける方は、お時間の許します限りお目をお通し頂けましたら幸いです。
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昨年12月のthe HITAUSの5回目のJive Turkey、そのビルボード大阪公演で、かの有名敏腕スーパーカメラマン・三吉ツカサさんが撮影されたお写真の中のとある1枚。
私にはその1枚が、異様なまでに光り輝いていて、何かとてつもないものを秘めているように見えた。そのお写真からは、特別な出会いのような、縁のようなものを感じ、理由は定かではないが、この1枚が絶対に自分にとっての大きなアクシスになると確信した私は、そのお写真をすぐさまShowcase Printsさんにて納品をして頂き、頂戴した。
そして迷うことなく、部屋の最も目につく場所に昂然と飾り付けた。
一際目立つところに飾ったのには、2つの意味があった。
・この世で1番の憧れの人だから
・教えて頂いたこと・頂いた思い出を、常に心の真ん中に置いておきたいから
よく、「ダイエットを成功させたくば憧れのモデルや俳優のポスターを部屋に貼れ」という教えがあるが、その考えはあながち間違いではないと思う。私が細美さんのお写真を部屋の中央に構えた1つ目の理由は、この教えに触発されたものだ。
潜在意識としてその存在を自分の中に刷り込んでおくだけよりも、日々その存在と読んで字の如く直接顔を合わせる方が、その存在は自分の中で顕在的なものとなり、より明瞭な意識へと繋がる。
その人に近づきたいのなら、そう願うのであれば、嫌でも視界に入ってくるようなところにその人の存在を置く。細美さんという人間に近づくためには、私にはそれが、最も手っ取り早くて実質的な方法に思えたのだ。
2つ目の理由は、何かの罰かと思うほど散々だった昨年2020年を戒めとし、そんな状況下でも経験出来た数少ない良い思い出だけは何があっても決して忘れまいとするためだった。
人生史上ワースト2番目に最低で最悪だった2020年。マイナスな形容詞を当てはめようと思えば湯水の如くいくらでも並べられるのだが、そんな無意味で無価値な作業に時間を割きたくはない。そんなつまらない生き方は、もう御免だ。細美さんのように生きたいなら、尚のことそんな醜いことはすべきでない。
どうせ1年を振り返るなら、いい記憶のみを掘り起こし、それだけを2020年の思い出として定着させたい。
私は昨年2020年、細美武士さんという存在のおかげで、生き延びることが出来た人間だ。
こんなことを言うと、「大袈裟だ」とか「重い」だとか言われるのだろうが、全く大袈裟でもなければ別に重くても構わない。何と言われようが構いやしない。
私が2020年を投げ出さずに乗り越えることが出来たのは、事実紛れもなく細美さんの音楽と彼の活動があったからこそなのだから。
世間にとって、多くの人々にとって、2020年という1年は、常にどんよりとした曇り空の下にあったのではないだろうか。偏頭痛を催す、あの低気圧の雨曇りの灰色の空だ。
これは私個人の話になるが、私にとっては傘を開かなくていいだけマシな方で、1度目の緊急事態宣言が発令された4月以降、毎日毎日土砂降りの空の下で過ごしていた。
3月の頭に大学を卒業し、学生時代のバイト先も卒業し、アメリカに行って帰ってきたら、3月末から社会人としての新しい毎日が始まるはずだった。ずっと焦がれ続けてきた職種の道で、1歩を踏み出せると思っていた。ようやく、やっとのことで、夢にほんの少し近づけると思っていた。何もかもが楽しくて、きつくて、厳しくて、でも最高に充実した日々が幕を開けるはずだった。
…そのはずだった。
現実は、いつもいつも本当に理不尽だ。あまりにも不条理だ。理にかなった試練を与えるわけでもなく、何の罪もない人間に何の根拠もない罪をある日突然与えてくる。
私はそんな現実を許すことが出来なかった。
その不合理が、ただ許せなかった。
そしてその悔しさを糧に変え努力出来るわけでもなく、勤しむ場さえ奪われたまま、時間だけが止まることなく流れていった。
嫌なことをこれ以上思い出したくはないし、過ぎ去った不本意な日々を嘆く、そんな愚にもつかないようなことは、先述したようにもうしまいと決めたから、ここから先を綴ることは控えるが、とにかく毎日心が重く生きた心地のしない日々を送っていた。
細美武士さんの音楽に出会うまでは。
話は一旦そこから2ヶ月ほど遡る。2020年2月のとある日ことだ。
詳細に関しては割愛させてもらうが、私は運良くもMOMOEYESというバンドに出会う機会を得た。MOMOEYES、その名前だけは流石に存じ上げていた。フロントマンはあのELLEGARDENギターボーカルの細美武士さん、ということも存じ上げていた。しかし、楽曲こそは1曲も存じ上げないような浅はかな状態でその日を迎えた。その日に私が抱いた感情は、前稿の『細美武士さんという名の憧憬』にて記載しているため、本稿では省略する。
ただ、惹かれたのだ。人として。
ボーカリストとしてでもなく、ギタリストとしてでもなく、ミュージシャンとしてでもなく、異性としてでもなく。私と何一つ変わらない、同じ一人間として。
そうして細美武士というお人とMOMOEYESというバンドにただならぬ興味を持った私は、緊急事態宣言発令真っ只中の4月の半ば、『A Mirage In The Sun』と『Dim The Lights』の両方を、最寄りのTSUTAYAで借りてきては、PCのドライブに滑り込ませた。
前稿でも綴ったが、「Cold Reaction」のリフを初めて聴いた時の衝撃は、今でも忘れない。それは長らく親しんできた古き良きロックの復刻のようでもあり、一方で未踏の新境地でもあり、真っ向からの2面性を孕んでいた。俗に言う青天の霹靂なんていうのは、まさしくこのことだった。
音楽を聴いて、全身に電撃が走ったような感覚に陥ったのは、2008年4月にとあるバンドのとある楽曲を聴いて以来の経験だった。音楽という電流が人間の身体に齎す感覚を、12年ぶりに思い出した。
もうそんな経験は、人生の中で2度と出来ないだろうと勝手に思い込んでは卑屈になっていた自分がいた。故に、「Cold Reaction」が私に与えた衝撃は大きく、そして同時に嬉しくもあった。
こんなリフを書けるミュージシャンがまだこの時代に存在した事実が、そして私を初心に戻し音楽の魅力を0から教えてくれる人がいたことが、その出会いが、ひたすらに嬉しかったのだ。学者が研究対象の絶滅危惧種の生き物を発見した時の気持ちは、このような感情に酷似したものなのかもしれないと思った。この時代に、オルタナティブロック1色の曲を書ける人間が、まだこうして残っていてくれた。
そして心の底から思った。「この人は、細美武士さんは、紛れもなく、本物の天才だ」と。
MOMOEYESというバンドに陶酔したのは、同アルバム5曲目に収録されている「Run Run」がきっかけとなった。
ステイホームの日々は、部屋の電気すらつけずに暗闇の中でずっと身体を横たえていることが常だった。モチベーションを根こそぎ吸い取られ干ばつ状態だった当時の私は、それしか夜明けを待つ方法を知らなかったのだ。
この曲での「Run」の意は、細美さんご自身は“逃げろ”と和訳をされていたが、私にはその“逃げろ”の言葉に、“走れ、追いつけ、飛び込め”の意味が本質として隠れているように思えた。この主人公は、何かを待ち焦がれているのだから。傷だらけでも不安に押し潰されそうでも焦燥に駆られても、希望を捨てることなく、何処か光芒の差す場所に向かおうとしているのだから。
この曲の魅力は、歌詞とメロディだけに留まらず、MVの世界観とその中での粋な演出も、聴衆の心を鷲掴みにしてくる。
舞台となる空間を照らすのは、申し訳程度の電球のみ。そこはまるで、重々しく息が詰まる要塞。足を踏み入れるだけで、邪な感情が偶さかにも芽生えてしまうような悪環境。しかし曲が進んでいくうちに、要塞の壁は4人の演奏による音の振動とエネルギーによって崩れ、光が差し溢れ始める。粉塵に塗れた古びた書物から植物の小さくも立派な新芽が勢いよく顔を出す様子は、主人公の強固な意志と、もう誰にも止められない彼の生き様を示すかのよう。3サビに差し掛かる頃には、壁の大方が破壊され、空間は光に満ちる。「立ち憚る壁なんぞ、己の力でぶち壊してやればいい」、それをほのめかすかのように。
そんな主人公の姿から、そしてその世界観から、私は身体を起こしカーテンを開け、明るみへと踏み出すための気力と勇気をもらった。
絶望の中にも光はある。けれどそれを見つけるためには、傷が痛もうとも、立ち上がり進まなければならない。「Run Run」という楽曲は、私にそう教えてくれた。
そして私は、コロナ渦の世の中でも今の自分に出来る最大限のことをしよう、そこからスタートを切り直そうと誓った。止まっていた時間が、ようやく動き出したように思えた。
ここまでは、前回の記事を書いた時期までに起こっていた事象を、前稿よりも詳細に綴っただけのことだ。そんな面白味のないことをわざわざ取り立てて記事にするわけがない。私が今回書こうとしていることの核は、それから数ヶ月後、8月28日の「ELLEGARDEN Youtube生配信」という、大きな分岐点となる夜を過ごした以後の、自分の中で起きたブレイクスルーについてだ。
前稿で私は、「ELLEGARDENよりもMOMOEYESの音楽性の方が嗜好に沿っている、MOMOEYESの方が好きだ」、そう公言した。
その発言は、粗方撤回する。ELLEGARDENというバンドに出会うまで、私にとってのロックは、私のルーツは、ハードロックとオルタナティブロックの2つだった。しかし今の私を形成するロックの基盤は、ハードとオルタナティブは無論、そこにパンクという新生面が凛と清まして陣取っている。
全てのきっかけは、2020年8月28日 ELLEGARDEN YouTube生配信 in 猪苗代野外音楽堂。
あの夜の宴が、何もかもを変えた。たった一夜にして、私が持ち合わせていたロックという名のキャンバスは、パンクという新しい絵具により色を足され、より色鮮やかなものへと変わっていった。
配信ライブの感想については一度言葉にし綴っているため、ここで再度書き留めることはしない。しかし唯一新たに感想を綴るとしたら、これだけは書き置いておきたい。
「Alternative Plans」についてだ。
幕張メッセに集結した3万人のオーディエンスの前ですら演奏しなかったこのマイナーなこの曲を、厳選された11曲の少数精鋭のセットリストの中に組み入れてくれたことに、心から感謝し、今でも変わらず感謝し続けている。「Alternative Plans」を演奏してくれていなかったら、彼等の音楽にここまで惹かれることはなかったかもしれない。
私はそもそも、「風の日」を通じて『DON'T TRUST ANYONE BUT US』からELLEGARDENの音楽へと足を踏み入れた人間である。そして配信ライブを拝見するまでは、他の音源は『Pepperoni Quattro』とベスト『1999-2008』しか持っておらず、ELLEGARDENは好きなバンドの1つではあったものの、楽曲は3分の2以下しか存じ上げていないような浅薄な状態だった。そのため、『ELEVEN FIRE CRACKERS』に収録されている「Alternative Plans」を、ほぼにわかファンにも等しい私が聴いたことがあるはずもなく、私は配信ライブ当日に「Alternative Plans」という楽曲に初めて出会うこととなった。思い入れがあるわけでも、何か思い出があるわけでもない。そんな、初めて聴く馴染みのない縁遠い曲。それなのに私は、画面越しにこの曲を聴いては、自分でも驚くほど涙を止めることが出来ずにいた。
今となっては好きで好きで止まないフレーズだ。
初めてこのフレーズを耳にした時、嬉しさのような恥ずかしさのような苦しさのような、何とも形容し難い感情に見舞われ、まるで自分の気持ちを代弁してもらったかのような感覚に陥った。そしてそのむず痒い感情と心が軽くなったような感覚は、止まることのない涙へと変換された。
それは、私自身がずっと思い続けていたことだった。22年間生きてきて、必死に生きてきて、今がある。大概のことは自分の納得のいく選択をし、出来ることは全てやり尽くしてきた。自分の決断と生き方に悔いはない。
それなのに、時たま思ってしまう。
「私は一体、どこで道を間違えたのだろうか」
そんなことを人生のふとした瞬間に思い耽ってしまうのは、きっと私だけではないはずだ。完璧な人間なんてどこにもおらず、完璧な人生を送っている人間もまた、どこにもいない。皆必ず、何かしらの後悔のようなものや、コンプレックスを抱えながら生きている。
人間は、Aの道を進んだらBの道を進んだ自分を想像するし、Bの道を進めばAの道を進んだ自分を想像する。隣の芝は常に青く、自分の足が踏み締めている地面は、薄汚れて見えてしまう。
私たち人間は、そういう風に出来ているのだ。
人を妬み羨み、自分を卑下する。私たち人間はそういう生き物なのだ。
しかしそれを、私たち人間に備わった残酷な本能であり性質であると寛容に甘受し、達観出来るようになるまでには、相応の人生経験を要する。
「Alternative Plans」
細美さんはその人間の残酷な原理を、悲観するわけでもなく、冗談交じりに私たちに伝えようとしていた。ライブハウスで出会った数々のライブキッズたちに、爛々とした瞳を介し自分のことを見つめてくるオーディエンスたちに、まるで諭すかのようにして、その卑劣な現実を伝えようとしていた。
今までの人生で私が出会ってきた、やけに人に説教をしたがる上っ面だけの“自称大人”の輩は、「世の中は、人生は、素晴らしい」だとか、「考え方次第で世の中は良くなる」だとか、何の説得力もない御託を並べるだけの、どうしようもないクソ野郎ばかりだった。
しかし、細美さんは違った。
最低で最悪なこの世界を受け入れ、諦め、それでも真っ向から世の中を相手に抗う姿勢を、その生き様を、私に教えてくれた。だからこそ、私は彼に憧れたのだろうと思う。
水臭い表現を躊躇わずに言い表すのならば、私にとっての細美武士さんの存在は、まるで、“ある日窓辺にふと飛んできた1羽の青い鳥”のようだった。幸運を運んできてくれる青い鳥。物珍しくて、美しくて、神聖で、絶対に手の届かない、手を伸ばしてはいけない、そんな新鮮な存在だった。
この人の生き様に、その生き様が作り上げる作品に、詞にメロディに、もっと触れていたい、触れていきたい。
そう思ったあの時が、私がELLEGARDENというバンドに本当の意味で目覚めた瞬間だったのだろう。2020年8月28日、午後9時半を回った頃だった。
そんな希少価値の高い「Alternative Plans」を聴けたこのライブは、皮肉にもコロナパンデミックが起こってしまったからこそ行われたものであると言えるだろう。ELLEGARDENは2018年に不死鳥の如く蘇り、見事に復活を果たしたはいいものの、活動は各地フェスやナナイロへの出演が主となり、ステージに終始4人だけ、という空間は意外にも未だに貴重な光景なのだ。
そしてこのライブが無ければ、私がここまでELLEGARDENに魅了されることもまた、同様になかったことだろうと思う。ELLEGARDENというバンドの魅力に触れることが出来たこと、それこそが、新型コロナウイルスという殺人兵器により台無しにされた2020年の中で、もっとも良い思い出であると、胸を張って言うことが出来る。目下のコロナパンデミックをいつの日か振り返ったその時、こんなにも心満たされる記憶が思い出されるであろうという、紛れもない事実。幸せで仕方がない。最高じゃないか。
配信ライブ翌日8月29日、土曜日の昼下がり、35度を優に越える猛暑の中、汗だくになりながらお馴染みの最寄りのTSUTAYAへと出向き、ELLEGARDENの音源を狂ったように全てかごにぶち込み借りてきた。
それ以来、貪るように、毎朝シャワーを浴びるかのように、彼等の楽曲と向き合ってきた。私が初めてロックに夢中になった時、とあるバンドに夢中になったあの時と、全く同じだった。
“好き”に対しては、歯止めが効かないのだ。自分でも怖いくらいに、火傷をしそうなほどの熱をその“好き”に降り注いでしまう。身の周りのことや悩みやら不安やらの何もかもを忘れて、その“好き”に向かって猛突進してしまう。これは予てからの私の悪癖であり、人様曰く長所でもあるらしい。全くもって困った性質を備えて生まれてきてしまったものだと思う。
そのうち音源だけでは満足出来なくなり、映像作品も同時に集め始めた。中でも『ELEVEN FIRE CRACKERS TOUR 06-07~AFTER PARTY』のDVDは、円盤が擦り切れてくるんじゃないかというほど何度も何度も繰り返し食い入るように観た。
カメラのマルチアングルが切り替わるタイミングを覚えてしまうほどには、目に焼き付くほど観た。
はっきり言って、演奏はお世辞にも完璧とは言い難い。ボーカルのピッチはまるでブレブレ、ギターはタイム感のタの字もなく遅れすぎ、一方でベースはマイペースに突っ込みすぎ、ドラムはアタック感を重視しすぎて他のパートを殺しにかかってる。
それなのに、何故私たちはこのバンドに惹かれるのだろうか。演奏の上手いバンド、ライブの盛り上がるバンド、音楽性がイケてるバンドは、他に腐るほどいるはずだ。
けれどELLEGARDENというバンドには、それらとは一線を画す、唯一無二の存在感があった。一言で表すなら、“絶対的カリスマ性”というやつだろう。圧倒的な存在感とレジェンド的な風格を持ち、オーディエンスを魅了する。
ELLEGARDENが有するそういった魅力にどっぷり浸かる日々を暫く過ごし、気がついた頃には、ELLEGARDENは私にとって、この世で2番目に好きなバンドへと昇格していった。
MOMOEYES>ELLEGARDENという過去の私の中での比率は、いとも容易く塗り替えられた。無論、変わらずMONOEYESも大好きなバンドの1つであるし、the HIATUSの音楽にも次第に惹かれていくことになるのであった。
細美さんが兼任されている3バンドを、コロナ渦の2020年内に3つ全て一気に好きになったからこそ、尚のこと思うのだが、細美さんはこのコロナ渦であっても、2020年の1年間のうちに、自分が属する3バンド全てを稼働させ、配信ライブを行い、うち2つのバンドでは有観客でのツアーを無事に完走させた。
それが、如何に途轍もないことであるか。柔な意志と覚悟と準備では、到底出来ることではないと言っていい。この世の中でライブを行うことは、例えどんなキャパの箱をソールドアウトさせたとしても、数値的には大赤字であるのが現実だ。
言ってしまえば、ライブを行えば行うほど、時にミュージシャンもスタッフも、自分自身で己の首を絞めることになりかねないことを意味している。
世の中に存在する数多のバンドの活動を、今一度広い目で見渡してみて欲しい。リスクを恐れ、水面下での活動しか行っていない臆病なバンドが、恐らくは大半を占めているはずだ。
そういったリスクや現実を、片足で軽やかに踏み躙り、自分の意志に気高く従順に、我が道を行く。それこそが、細美武士さんという人物の生き様なのだろう。その生き様が、どれだけ多くの人々の、煌々たる希望になっていることか。
2020年10月19日、日本武道館にて行われた『MONOEYES Between the Black and Gray
Live On Streaming 2020』。私はこの配信を拝見した後、アーカイブを何度も観返しては、レポート記事内に、記録と共にその時に抱いた心情も同様に書き残しておいた。
記事内にも記載した通り、コロナパンデミック収束後の輝かしい未来に、いずれ華々しく開催されるのであろう、MOMOEYES 武道館ワンマンライブ。その約束が、生きていくための希望となった。それはきっと、私にとってだけではないはずだ。画面越しにこの約束が交わされた瞬間を見張っていた多くの聴衆が、同様に希望と、沸々と湧き上がってくる嬉しさと期待の感情を抑え切れずにいたに違いない。
細美武士さんという方は、人間として、ミュージシャンとして、ボーカリストとして、ギタリストとして、各バンドのフロントマンとして、いずれにしても、私たちにとっての救いであり、光であり、希望であり、道標であるのだ。
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細美武士さんという存在のおかげで、2021年の今も尚、私は生きている。それも、とてつもなく幸せで穏やかな気持ちで。匙を投げることもなく、夢を投げ出すこともなく、自分が身を置く音楽業界から逃げることもなく、命を捨てることもなく、今も確かに、私は生きている。
いや…「生かされている」と言ってもいい。
私1人では、今の世の中を乗り切ることは不可能だった。細美さんの音楽から、細美さんの活動の全てから、生きる勇気を貰ったのだ。純粋に、私は細美武士さんに救われたのだ。
彼は今まで、どれだけ多くの人を救ってきたのだろうか。そしてこれから先、どれほど多くの人を救い続けるのだろうか。
私がそうであったように、彼はこれからも、その生き様とその音楽性を以って、数え切れないほどの大衆の救済であり続けるのだろう。
完全無欠の圧倒的なカリスマ性を備えた、伝説として、幻として、憧憬として、非の打ちどころの無い本物の天才として、私たちの頭の中で陽気に音を奏でるステレオマンとして。
「Stereoman」
現実から束の間の逃避行をするために、夢見心地になるために、目を閉じイヤホンで耳に蓋をする。鼓膜を揺らすその声は、どんな喧騒をも掻き消し、どんな嫌な出来事も忘れさせてくれ、いつどんな時も、私をどこへでも連れていってくれる。
そんな私のステレオマン。
言うまでもなく、他の誰でもない。
私にとってのステレオマンは、細美武士さんという、この世でただ1人の憧れの人だった。