24時の牛乳(恋人ごっこ/マカロニえんぴつ)
「あ、ねえ牛乳の賞味期限があと3分で切れちゃう」
冷蔵庫を覗き込みながら私が言うと
「真っ黒になる前に飲まないと」と言い、後ろから腕が伸びてきて
2つのコップになみなみとそそいでくれた。
賞味期限が切れたら、真っ白な牛乳は真っ黒になるんだって
そんな変な話を未だに覚えている。
マンション横にある自販機で、コーヒーを1本買って
半分をブラックで飲む彼と、その半分に牛乳足して飲む私。
コーヒーメーカーも乾燥機も無くて、オーブンもないけど
缶コーヒーを半分こして、シーツは大きく広げて干すし
トースターを何度も覗き込んでクッキーを焼く生活。
そんな日々でも笑って過ごせるほど時間があったし
ねえもう1度だけ、を何度もお願いする日々が眩しい。
「めんつゆと醤油と牛乳一緒に買うなんて」
坂ばかりの住宅街、下宿先はまだ先で
神社の横を、重たいスーパーの袋を下げて歩いてた。
「だってもう全部なくなるし、ほらがんばって」
片方の手を引いてくれるならもう半分を持ってほしい、そんな風に言えればよかった。
きちんと甘えればよかった、なんて
どんな風に伝えれたら良かったのかな。
でもきっと、缶ビールの袋の方が重いから
もうなんも言えなくても良かったと、今なら思えるのには時間がかかりすぎてしまった気がする。
素直になれなくて言えなかった言葉たちが蓄積されていって
「運命だとかうんざりだ」と冷蔵庫を開けたまま泣く姿に何もしてあげれなかった。
永遠や運命を信じたくない彼と、それでも無理やり運命にしたかった私は
無駄な話ばかりその後ろ姿にしていた。
「明日は雨だから洗濯物干せないかも」
「出かけるなら公園は行けないね、図書館に行こうよ」
「明日の朝は何食べる?お昼と一緒にして少し豪華なホットケーキ作ろう」
「ハチミツがもうなくなるよ、買わないとね」
「今度、行きたかった古着屋さん行こう、そんで帽子も買おう」
具体的な先の話、来月やその先の予定を立てれないのは
お互いしてる隠し事の期限が迫ってるから。
いつまでたっても玄関に置いてある、封の開けてない招待状はどうするつもりなんだろう。
ねえもう1度だけ、その運命は無しにできないのかな。
恋人ごっこみたいな恋愛だったから、もうこんな運命は
自分で運命なんかじゃないって、ばってん付けて
その代わりに、招待状の出席欄にマル付けて代わりに出しておいた。
「なんでそんな勝手に、」
怒るわけでもなく、力なく笑いながら話すのに
何故か私が泣いて
「そんなの運命じゃないよ、この日で無しにしよう」
この日で無しにしよう
彼の誕生日、1週間前にある幼馴染の披露宴
この日で私との運命は無しにして
幼馴染の運命の人は彼じゃなくて
もう言葉を少しずつ棄てて最後はまたね、じゃない
じゃあね、のサヨナラしか言わなくて
思い出すのはゆるやかな爪の形や
ねえもう1度だけ、と甘える姿だけ。
それもこれも、無しにしよう
もう1度は無しにしよう。
賞味期限が切れそうな牛乳をそそいだコップを眺めながら、青い時計の黒い針が24時を超えるのを見つめる。
きっと朝になったら、真っ黒じゃなくて透明な牛乳になっているはず、
だって、もう1度を願えないし
棄ててしまった言葉達が色をなくしてくから。
だから、この牛乳はあと3時間後に透明になる。
誰もかれも大事にしてこなかったこの歳月や、ひどいことをした代償だと思った。
この10年の間に何度伝えそびれてしまった言葉たちがバラバラと足元にこぼれていく。
「1番にはどうしてもなれないんだね」
と、深夜に大きな荷物を抱えて帰宅した私に玄関で投げかけられた言葉が
今になって降りかかる。
こんな風に思い出すのは、人の運命にばってん付けたからなのかもしれない。
「そんなんじゃ本当に好きな人ができたとき、その人の1番にはれないよ」
泣きそうな声しかもう思い出せなくて
あんな時でさえ私は抱えてる案件の納期や、次にある大きなプロジェクトのことを考えていた。
無駄な記憶になんて頼る資格なんてないし、忘れていいのは私だけだなんて
いつからそうなってしまったんだろう。
いつかの貴方は、こんな風に思ってくれていたのだろうか
1番の理解者であり、その笑顔と共に過ごしたいと思い考え
出来ることならその手に触れることを
躊躇いなくできる関係でありたと思ってくれていたのかな。
深夜、なにを話すでもなく何時間もお互いが自分の仕事をしながら
30分以上言葉を交わさず、通話を繋げていた夜が永遠のように感じる。
自分のキーボードをたたく音も
向こう側から聞こえるクリック音も、夜に溶け込んで1つの生活のように感じる。
もう一生あんな夜に出会えないなら
できるならあの夜はどうにかして忘れたくはない。
こんなに技術が発達した2020年、薄れていくかすかな日々のフィルムを諦めたくなんかなかったのに、いつか擦り切れて砂嵐のようになってしまうのだろうか。
10年後の自分がこんな風に思うなんてな、と夜を溶かしながら手元だけ見つめる。
牛乳はとっくの昔に真っ黒になって、今夜も画面を睨んで夜が無くなる。
本当だったら10代でこんな風に誰かを強く想ってみたかった。
いまの自分は今でしかなから、あの時の自分ならどうしただろうかと、ふと思う。
誰かの為に気持ちを押し殺して笑うことも、2月にチョコレートを渡したりしてみたかった。
どうせ渡すなら、もっと可愛げのある渡し方をしてみたかったとも思う。
もうこの10年で、答えが答えでなくなってしまったから
正解がわからずに、なんて言えば気持ちが傾いてくれるかだとか
そんなこと、今まで考えたこともなかったから呆然としてしまう。
もしかしたら会えるかもしれないと、その気持ちだけで洋服を選んでみたかったけど
毎回のように違うお気に入りの洋服で電車に乗るのは楽しかったし、時間通りに来ないのを待つのも、ピアスを選ぶのさえも糸がほどける様な柔らかな時間だった。
忘れたくなかった日々を忘れるように、そうしてもう二度と無くさないように諦めて、只今より朝の光を撫でて待つ。
「運命なんてばかみたい、もう全部うんざり」
あの日の恋人ごっこの代償だった10年間。
もう一度は無くさないようにして、覚悟を決めて光の帯を掴んだまま隣を歩いていく。
名前を半分あげたかったのは嘘なんかじゃなかったから、忘れてもいい運命を辿って言葉を諦めていく。
※この言葉と話たちはフィクションとノンフィクションです。
どこから何処までが誰と誰で私と君なのかは架空の場合もあります、たぶん。
3月に公開した記事に加筆をしました。
時間が解決するならば、10年も100年も大差ないなと思います。
名前を半分あげたかった人はもう二度と会えないでしょう。※
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