KLASKとの出会い👶

私は、KLASKにハマるのが遅かった。
遅すぎた。

KLASKの面白さを知ることのできた2024年は私の転機だったと言える。

秋葉店にこーへいさん(ぱこへ)(去年のKLASK日本大会優勝者であり、KLASK世界大会ベスト4)がスタッフとして入ってきてから、スタッフ内でKLASKブームが起きているのを、なんとなく知っていた。皆、ことあるごとにKLASKをしていた。気がする。隙を見ては、トイレ休憩のごとく、KLASKを挟んでいたのを見ていた。

正確には、見てもいなかった。
ビスが蹴れるなんて夢にも思ってなかった。

スタッフ達がやってる様子もちゃんと見てなかった。クラスの周りのみんなが当たり前に読んでるONE PIECEをいや俺は読んでないよって言ってるようなガキみたいな感じだった。私は口には出してないけど。避けていた。(なんか恥ずかしいが、ヲタクの癖に、るろうに剣心やヒカルの碁やデスノートや幽遊白書やスラムダンクやハンターハンターやベルセルクは読んでたのに、ONE PIECEだけは本当に去年まで読んだことがなかった。去年68巻まで読んだ。めちゃくちゃ面白かった。)ちょっとだけ逆張り人間だから、ブームに乗っかったら負けだと思って、見ないようにしてた。
あと、私はKLASKが弱いのを数年前にやった記憶を辿りに知ってた。あかみねさんという人とやって、自分はセンスがないと思っていた。
負けず嫌いだから、やってもどうせ負ける。やりたくない。どうせ…。と思って見て見ぬふりをしていた。運動が苦手だし、とろいからアクションゲームは無理だろうなと諦めもあった。

だからまともに見てなかったので、ビスを飛ばせると言う戦略性があるとか、本当にそんな奥の深いゲームだとはなんにも知らなかった。誰かもっと早く教えてよ。

ところで、私は何故か生まれつき異様にパケットが強かった。KLASKも弱いしドブルもツインイットも何もかも弱いが、パケットとおばけキャッチは最初から無双できた。
野比のび太の射的とあやとりみたいなもんだなと思った。どんな人間にも生まれつきの取り柄はあるのだ。

パケットが生まれつき強い理由は本当によく分からないが、野比のび太の射的とあやとりと同じだと思えば納得できた。
店(渋谷本店、秋葉店、横浜店)に届いた日からスタッフの誰にも負けなかった。誰もやってくれなくなった。

ある日、スタッフではない友達🍑とパケットをやった。強すぎるので、誰もやってくれなくなるんだよね。。ってちょっと悲しげに話した。
そしたら、次の週だかに、『パケットの大会を開くことになったよ!』的な連絡がその友達から来た。
『ゆれひさん』と言う人のおかげらしかった。誰?と思った。

友達🍑は、#パケットを布教したい、というタグをつけて、私のパケット強い動画までTwitterにあげてくれてた。私のために。
野比のび太に優しくしてくれるしずかちゃんみたいな人だな…なんて優しいんだ…と思った。

なんだか分からないけど、私もじゃあ、宣伝しよう!と思った。せっかく大会やるなら、私もパケットを布教しよう!と思った。
それで、パケットゆリというTwitterアカウントを作った。友達🍑の優しさに応えたい気持ちもあったし、純粋にパケットの大会ができるのが嬉しかった。
しんばさんはクラスク道場が乗っ取られる!とKLASKのディスコードで発言していた事をぱこへ辺りから聞いた。
会った時も、これは一体どういうこと?と怪訝な顔をしていた。Twitter作って盛り上げようとしたばかりに、私が開催者だと思われていた。そのくらいの宣伝をしていた。

そしてなんやかんやあって友達🍑と『ゆれひさん』パワーとしんばさんのおかげでパケットの大会は開催され、優勝できた。(クラスク道場に組み込んでくれたのを後で知った。クラスク道場の存在もあまり認知していなかったので。参加してくれた友達や、KLASKのみなさんありがとう。と思った。)

決勝戦はすごく荒れた。負けかけた。その時私の脳内ではウマ娘3期のOP、『ソシテミンナノ』が流れていた。歌詞は『勝ちたい…勝ちたい…勝ちたい…君に勝ちたい!』の冒頭から、サビ前の、『負けない!』のキタサンブラックの台詞も全部決勝戦で闘ってる時に脳内で流れていた。
勝ちへの執念が宿るのを感じた。なんか変な脳内分泌液が出てる気がした。極限状態でパケットを、打ちながら、絶対に勝つと心の中で強く強く強く、思った。

思えば自分はこんなに強く勝ちたいと思った事がなかった。野比のび太だし、遊びで普段やるのと大会でやるのはまた違うなとも思った。
有志によるものではあるが、パケットのその大会は、私の中の闘争本能を目覚めさせてくれた。決勝戦で6〜7分くらいの良い勝負をしてくれた相手のおかげでもある。(他の人には数秒で勝てたため、決勝戦までは、闘争本能はあまり目覚めなかった。) 

その日から自分には闘争本能が宿った。胎児かつ赤子(自認)である私に、闘争本能という自我が芽生えたのだ!記念すべき日である。

なんかゆれひさんからもDMで、『パケット強いからクラスクも強いと思いますよ。やってみませんか?』みたいなKLASKの勧誘も来てたし、と思い出した。
ので、あるシフトの日に私は、ぱこへに、『KLASKを教えてください』と軽い気持ちで言った。

パケットの大会によってぱこへ(こーへいさん)にも、ぱがつき、ちょっと親近感も抱いていたし、パケットの大会なんてそうそうあるもんじゃないから、私は闘いに飢えていた。

その日から私のKLASK LIFEが始まった。

私の闘争本能を満たしてくれる素晴らしいボードゲームであり競技だと気付いた。

脳が侵食されて、何時間でもやり続けられる中毒者のような感覚に陥る日もあった。ぱこへと休憩なしで3時間ぶっ続けでやった時も、まだまだできる、もっとやりたい、と思った。

KLASKの予選大会があることを知った。闘争本能を満たすために、出ようと決めた。ぱこへに教わったし、いい感じになるかな〜?と期待してわくわくして申し込んだ。

が、最初に自分が参加したKLASK予選、渋谷本店で行われた8名による大会では、私は全敗した。

全員が全員と当たる、総当たり戦で、全敗。
めちゃくちゃ緊張した。手が震えた。なんと緊張に弱かった。

『今日初めて来ました、面白そうなイベントだなと思って』って言ってたKLASK知らない人にも負けた。驚いた。
その人とは一番最後に当たったため、最下位決定戦となった。
他の人と戦うことでその人は色々吸収しつつあり強くなってしまってて、結果全くの初心者にすら負けると言う何とも言えない気持ちになった。

普段、渋谷本店の店長は私にまったく優しい言葉をかけないが、『まぁ、最後の最下位決定戦も、決勝戦と同じくらい結構見応えありましたね』みたいなお情けみたいな言葉をくれて、まさか、同情されている…?と、こころが張り裂けそうになった。

びっくりした。
緊張したせいもあるけど、普通に実力不足を痛感した。

KLASKってこんなに強い人いっぱいいるの?初心者の人はセンスある人だとして、他の人たちも6人ともめっちゃ強かったよ?全敗だよ?1点も取れない人いたよ?え?そんなことある?と、びっくりした。
みんなちゃんと物凄く強すぎる。なのにみんな予選突破できなくてたくさん予選出まくってる人だって聞いて、え?ってなった。どんだけ強い人多いの?となった。
ビスも蹴れなかった頃の自分だし、当然の結果や感想ではあるのだが、無知なので本当に驚いた。(その時いたメンバーはメンディーが予選突破、とぅーさん、あゆこさん、どいつさん、オレンジさん、などがいた。)
その日は予選をオレンジさんvsメンディーでメンディーが突破したので、せっかくなので秋葉店のよしみで、私はメンディーの写真の撮影をしてあげた。今年公開コナン映画のコナンとキッドのTシャツ(ユニクロコラボ)を着ていた。私はコナンのオタクなので、コナンTで予選抜けれるなんて羨ましさしかなかった。

落ち込んだ。が、次の予選会にすぐに申し込んだ。もっと闘いたかった。
ビスも蹴れないような今の自分ではまだ予選突破は無理だろうけど、そこに向けて練習するモチベになるし、とりあえず緊張しすきて手が震えたから、慣れようと思った。

ので、練習会しつつ、その後、横浜、大宮、池袋1号店の予選にも参加した。

横浜では、一人にだけ勝てた。それは渋谷本店で闘った相手でもあった。自分の小さな成長を感じ、嬉しく思った。
どいつさんやとぅーさんには全く歯が立たなかった。
決勝戦は、とぅーさんvsしんばさん。
しんばさんが予選突破した。また秋葉店か、と思い、せっかくなので秋葉店のよしみでこの日も写真を撮ってあげた。だが、写真あんまり盛れてなくてディスコードとかでみんなにいじられてて申し訳なくなった。(確認不足)

大宮では、4人しか参加者がいなかった。私は1人にだけ勝てた。とぅーさんとどいつさんには勝てなかった。
決勝戦はとぅーさんvsどいつさん。
そして、横浜予選でしんばさんと決勝で当たってたとぅーさんが突破した。
一応写真を撮ってあげた。前回の反省を踏まえて、ちゃんと盛れるようにユーライクで撮るなどしてあげた。なんか良い感じに撮れた気がして安心して写真をディスコードにあげれた。

池袋1号店の予選会に、最後参加した。もはや記念受験の気持ちだった。最後の予選である秋葉は定員がすでに何故か埋まっていたので出れないし、ビス蹴れるようにはなったけど、自爆は多いし緊張はするしなんかやたたらと練習会で叫びすぎたせいでずっと風邪引いてて咳1ヶ月してるし、てか単純に弱いやんと思った。が、なんかもうここまで来たら参加したかった。場慣れをもっとしたいし、大会で得られるものもあると思ったから。というか闘争本能が抑えられなかった。
前回の決勝戦は前々回の決勝戦のとぅーさんが優勝したし、なら今回は前回の決勝戦のどいつさんかなぁとか思った。思い入れがあった。
大宮には居なかったが、横浜の時にはいたあゆこさんもいたので、あゆこさんにも思い入れがあった。

なんか毎回会うので全然互いの素性を知らないけれど、予選で会う人たちに絆みたいなものを勝手に感じてた。
自分が勝ちたいのはあるけれど、自分はまだまだだと思ってた。結果にもそれは反映された。それでも、渋谷本店での全敗の時を思えば、勝ち数は上がってたし、自分の中では少しずつ徐々に上手くなってる気がしていた。
結果絆が生まれていた(勝手に)、どいつさんが優勝した。なんか毎回居るし仲間意識があったのでなんか嬉しかった。関係ないビスいつも拾ってくれるし。
あゆこさんが座布団抱えて泣いててもらい泣きした。絆である。

なんやかんやあって予選は突破できず終わった。私の出ている予選会の間、2024年の5月は1ヶ月風邪を引いていた。咳をし続けていた。1ヶ月で4回内科に行った。
練習会で叫び過ぎたせいである。
喉に支障をきたすとどんどん悪化してそれが現れる。
KLASKで叫びすぎてはならないな、とも反省した。それでも感情の発露はとめられないが。涙とか勝手に出るものと同じで。
風邪を引かない程度に抑えようと思った。
咳出しながら予選会に出るのは辛かった。予選会出るたびになんなら悪化してたし、予選会終わって、6月になって治ったし。
あとゆれひさんから『吸入器とかあるよ』的なDMが来てたので、5月の間で4回目に行ったお医者さんに吸入器くださいと言ったのでそれもあってなんとか治った。ゆれひさんすごいと思った。


反省点としては、練習不足と、風邪ずっと引いてたことと、もっと早くから、そして全部の予選会に参加しておけばよかったなって思った。みんな限られた枠の中で頑張ってる事を後で知ったし、もっといろんな人と闘いたかったなとも思った。負けても楽しいから。もっとやってもっと向上したいと思った。

練習会でも闘えるけど、大会での闘いがみんなやっぱり本気だと思う。本気でぶつかり合いたい。だから私はもっと大会に出たい。
メンディー杯とりあえず楽しみ。


2024年3〜5月に、パケットと友達🍑とゆれひさんとパケットの決勝戦の相手のおかげで、闘争本能に目覚め、私はKLASKに出会い、人生がとってもハッピーになった。風邪引いて咳出してまるでインストできないくらい喉壊れてるのに、マイKLASKとマイ座布団を抱えて必死にシフトに出勤していた。どんなに身体が壊れても、心が満たされていた。幸せだった。負けても負けても楽しいのはKLASKだけだ。なんから勝ててばかりのパケットより楽しく感じた。

負けるのが嫌でKLASKブームを見て見ぬふりしていたのにも関わらず、パケット大会のおかげでKLASK中毒者になってしまった。
渋谷本店のスタッフ内にもKLASKの輪を広めようとしたが、たまに失敗して悲しかった。成功した女の子もいてくれたが、失敗もあった。
秋葉のような全員がトイレ休憩行く感覚でKLASKをやりだす、みたいな輪は作れなかった。無理だった。せめて、パケットの決勝戦で私の闘争本能を目覚めさせてくれた相手には、メンディー杯に応募するとこまでこぎつけられた。(昨日)
とりあえず当面は秋葉店で頑張ってやっていこうと思った。モチベ高いし。クラスク道場あるし。
ぱこへが辞めるのは痛いけど、たくさんの財産(クラスクモチベ高いスタッフたち)を作ってくれて感謝だ。

KLASKと出会えて良かったと心から思った。私はKLASKが大好きだ。

バーサーカーパゆリ爆誕!
(寝れなくて勢いで書いた

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