割符の如く
私には、新年と言う概念がないので、あけましておめでとうございますなどと言う言葉は割愛させていただく。
ここの所、私があの日、電車に乗らなければ
迎えに来てもらえばと自身を責めることが多くなった。
私が犯罪被害者になった事になった事で、
家族を犯罪被害者家族にしてしまった。
その贖いと言うのはどのようにすればよいのかと、
私は主人を心の底から愛している。
出来れば、私は主人より先に死にたい。
もし、主人が私より先に亡くなったら、自刃すると言ってある。
それくらいに、主人が私に与えてくれた愛情や安息というものは、
この世のどんな宝石よりも価値があり、深いものだ。
世の中の人たちが私にディスターブを繰り返しても、
私は溺れたって、泳ぐことを選んだ。
死ぬのはとても簡単で、そして後戻りが出来ない。
不可逆的であり、そして影響が大きい。
しかし、私は自殺反対派ではない。
自分がそれが最善だと思ったなら、そうすればいい。
ただ、私がなぜ死ないのかという話になると、
まず、未成年の子供がいるという事と彼女はまだ、
人生で死別の経験や、冷たくなった死体を触ったことがない。
そんな彼女が、私の死を受け入れられる訳がない。
そして、主人が私との間にかわいい子を授けてくれた。
目を細める様に毎日、娘をかわいがる主人と娘を残して
私は死ねるわけがないのだ。
主人の背中に抱き着いて、私は本当のことを言わずに大みそかに泣いた。
主人の背のぬくもりと言うものが、あまりにも私には壮大だったからだ。
ごめんなさい、健康で明朗な妻でなくて。
ごめんなさい、慈悲深く広い母でなくて。
毎日を惜しむことも許されない姿で私は毎日を送っている。
人生と言うものには時として大きな壁がある。
私には越えられない壁なんてないと思っていた。
しかし、11年前の犯罪被害の傷を越えることは
生きている間には難しいかもしれない。
だけれど、やりたいことみたいこと、感じたいこと
美しいものを美しいとそんな風にまた感じてみたい。
そうでないと、私がしっかりと天寿を全うしたときに、
祖母に合わせる顔がない。
祖母は亡くなる前に言った「幸せになるだよ、旦那さんを子どもを大事に」と。その時私は、介護からうつ病に至った。
しかし、病院に行くことを拒み続けた。
今となって分かるが、祖母が亡くなって半年でうつ症状は消えた。
恐らく、適応障害だったのだと思う。
そこから1年も経たないうちに、犯罪被害者になった。
私は、あの世と言うものを信じてはいない。
しかし、どうしたって私はいつか死ぬ。
どう死ぬかも分からないが、立ち直らなければいけない。
優しさや慈しみの心を取り返すためにも。
その為に、毎日、贖うということを考えるのだ。