ヤマなし、オチなし、意味はわずかに
しょうがないことを思う、のコーナー。
巨人(でかんちゅ)と新幹線の座席
基本的に。
大谷翔平とかオカダ・カズチカとかあんなデッカい人でも新幹線の座席は一人分なんだよねえ、たぶん。
いや追加で座席買ったりしなければの話。
まあ指定席とかグランクラスみたいなやつとか乗れば?という話かもしれないが、いやまあでもどうにもならんものとかもあるよねたぶん。
体でっかいの、大変そう。
ってか。
○○人って書いて「~んちゅ」って読ませるのほぼオモろいからこういうのはズルだと思う。
御羽人兎(おぱんちゅうさぎ)とかできるじゃんね。
凪の景色
この半年たくさん凪の景色を見ているのだけど、基本的にこういう時の聴覚って、とても恣意的で、不遜で、いい加減だと思う。
例えば。
自分の半径2,3m周囲には何も鳴ってなくて、ただ確実に10m付近からは音がしていることは感じていて、でも色々混ざってるから絶えず街の雑踏みたいな感じ。半径10m先はずっと渋谷の喧騒。でも遠いからちょっとよくわかんない。
時々この半径内に8小節切り取られた何かのフレーズが落ちている。のでそれを拾ったりする。でも多くは氷で出来ているから拾い上げたら割とすぐに消えてしまう。だからまた無音みたいになる。
そういう感覚。そういうタイプの孤絶。
色んなものを無視するように、忘れたころにハミングするような、そういうやつ。
あんのかそんなもん
長らく考えているけどうまくモノにならないアイデア。
「メロディの上昇下降など、その複雑さゆえに歌いづらい歌」はまああるじゃないですか。
ロングトーンがエッグいやつとか、そのハイトーン出ねえよみたいなやつとか。まあそういうのはいいんだ。
「歌詞の発音がメロディの長短や上昇下降にあまり適していないがゆえに歌いづらい歌」ってあるのかな。
早口言葉みたいな、なんか特定の組み合わせになったらメロディとして急に困難になる掛け算ってあるんだろうか。
みたいなのは忘れたころに思い出しているので、かれこれ10年程度うっすらうっすら思い出している。
でもちゃんと考えきっていないので、モノになっていない。思い出すだけ。
Mourning work
"Mourning work"とは「死別などによる深い悲しみから立ち直るための心の作業」のことである。
ぶっちゃけ、シンガーソングライター的な創作をする人間は、いやもしかしたら創作をする人間はほぼ等しく皆、心の整理のために創作をしている側面があると思うのだ。
恋して熱量が溢れるから整理のために創作、苛々して熱量が零れるから整理のために創作、悲しみに打ちひしがれたそのベクトルで創作、思い出を忘れないために創作……大体そんなもんだと思うのだ(商業的な理由に因るものを除く)。
創作をする人は、だから"Mourning work"もまた創作に委ねることができるはずで、時間はかかろうとも、きっとそうすることで最終解決や進展に近づくことができるはずだ。
じゃあ創作を趣味にしない人、創作を不得手と感じている人はどうしているのだろう。
……と、この単語をメモした頃は思っていた。
その後しばらくして、身内に不幸があって、いくらかの法要を行った。
四十九日、n回忌、そういう類のものは、もちろん死者を悼むものであるが、同時に、生きている側の、残されている側の我々の気持ちの整理をする場であるという。当時お喋り好きな住職が語っていた。
ああ、なるほど、万人に等しく"Mourning work"の機会は与えられているのだ。それをその時に自覚できるかどうかは別として。
まあ、時と場合によってしか解決なんか無理だし。
ただその機会が全くないわけじゃあないし、創作しなきゃ生きていけないなんてのはマジで詭弁だし生活に対する傲慢な視点だな、と思うようになったのがこの数年の話。
誰にだって分かる悲しみがあり、誰にも共有できないものだったりもし、「誰にも共有できないものがある」という感覚だけは共有されるからなんともいえない共感だけは持つことができ、僕らは等しくもんにょり出来る。
いいじゃないか、みんなでもんにょりすれば。それが「孤独であり、孤独でなし」っていう緩やかな社会だと思うのだ。別に好き好んで「ホントは青くもない芝に入る」こともないし、逆に「青く見せる」必要もない。
もんにょりすればいいのだ。
そして僕ら創作する人は、どうにかして「もんにょり」以外の言葉でそれを表すだけなのだ。
大変だねえ。好き好んでそんな趣味をしてるなんて。
そりゃまともに生きるの辛いだろうな。がんばれ~。
嫌なメモ
歌詞か何かにするための一言をまとめたアイデアノートがある。
昔はルーズリーフとかに書いていた。が、それはスマホとかPCとかが気軽に使えない学生時代の話。
今はスマホとPC両方で共有できるメモに残している。
大概は言葉遊びとか、気になった単語とか、まあそういうものが不躾に置いてある。
僕の部屋と同じだ。部屋は人の心を表す。
で、その中になんか嫌な一文が残っている。
「なんでも資本主義経済に回収されちゃうのね」
これをどこの歌詞で使えというのだ。
これを主題にしてどんなnoteを書けばいいというのだ。
いやメモしたのは自分だから、その気持ちはすごく分かる。
おおよそそんなもんは商業主義的な音楽の在り方に対してとか、なんかそういうところへの落胆とか憤りとかそういうのが元だろうよ。うん。
でもじゃあそれを、そんな文章を残した程度じゃどうにも昇華できんだろうよ。
消してやるこんな文章。
えい。
掃除
……と、こんな具合にメモ帳を整理している。
基本的には増える一方なので、これは消す作業の方。
いつかどこかで使えそうなものは、noteに記しても残しているかもしれないが、まあ基本的には消す。
言ってしまえば、ボツネタ集である。
が、まあ一言二言まとめられそうだったので、ま、たまには。
ボツにならなかったものは、今後の曲なりnoteなりになります。
いくつか掘り出したので、まあそう遠くないうちに記事になるでしょう。