上として
今週の生存報告。
今週は仕事に忙殺……というよりは仕事で蓄積した疲労に圧殺される一週間だった。
スケジュール的には特段忙しいというほどではなかったが、その実ちゃんとしてないといけない時間が長くて、まあ簡単に言えば気疲れし続けたという感じ。ストレス疲れで動けずって感じかしら。
曲も何か作り進めようかと思ったのだけど、疲労の前に屈して何も思い浮かぶこともなく、ほとんど手が進まなかった。
ぶっちゃけ言えば話せる範囲の面白エピソードなどほぼなかったのもあり、もう今週は何か下書きリストに入っているトークを広げようかとも思ったのだけど、それすらちょっと広げ方が思い浮かばなさそうだったので、とりあえずつらつらと新しく書き始めている。
新入り
さて。一つだけネタがある。
年末を以て退職した人員の補充として、今月から職場に新人が来ている。
一般的な職場であれば、年に一度くらいは新人が入ってくることだろう。新卒社員を迎え入れたり、転職で人が来たり。あるいは逆に人がいなくなったりもすることだろう。
が、ウチはそうでもない。入るも辞めるも今回が久しぶりである。ちょっと特殊なとこにいます。
僕はかれこれ4,5年ほどいることになるが、その間に入ってきて今もなおいる後輩は1,2人ほどしかいない。離職率がどうこうというよりもそもそもの絶対数が少ないし、大学を卒業して別に就職するというケースもあるので、この人数。
今回の新人もまた現役大学生で、もしかしたらまたそう長くない付き合いになるかもしれない。
そして今回がそれまでと違うのは、僕がついにハウツーを教える側になっているということである。
もはや現存メンバーとしては中堅もいいところで、年齢的にも上の方である。経験者としても、新人に任せたい仕事の先任としても、そりゃまあ私もまた指導側になって然るべき状態だ。
ははあ、ついにきましたかこの時。
さらには、聞くところによれば僕よりも10歳ほど年下とのこと。ははあ~~~~???ついに僕にもこういう経験がね?????
10歳以上離れた年上とかはそれこそ自分がそう思われていた年齢の時に沢山会っているわけだし、その時に会った人間の話のマァなんとつまらん話しかしねえ連中だったこと、みたいなことさえ覚えているわけだが、逆に10以上も下になるとほぼ前例がない。せいぜい年一で会うか会わないかの従弟くらいだろうか。
いやまあそれはそれはとても"未知"です。
いや、現在進行形で知っている最中なので未知"でした"。
話を聞く側
とはいえ。
僕は昔から同い年"以外"と仲良くすること自体不得手ではない。
(儒教的な)年功序列をベースとした上で、僕は「年上はナメてかかり、年下には敬意を払う」という考えで動いている。別に年取ってるからってなんでもかんでも敬意払わなきゃいけないわけじゃないし、年下だからって無知で未熟なばかりではない。年齢に関わりなくちゃんとその人の今を見て接していけば、自ずと相応しい態度が生まれるはずだ、という意識である。
なので、まあ年上にはダルくない程度に可愛がられ、年下にはアホナメられはしない程度にトモダチごっこしてもらっている。まあ便利。
逆に同い年だとここら辺が急に見えなくなるし、勝手に「年齢は同じなのに」という劣等感を感じてしまいがちなので苦手。まあそれはさておき。
10も離れていれば幼年~青年期の環境・情報はまるっと違う。
歌のおにいさんといえば?18時からのアニメといえば?やってたゲームといえば?10代に聞いてた曲といえば?個人差は当然あるが、どこかで必ずギャップはある。
年下側としてそれを聞く分には別に「へぇ~そうなんですか」で済む。若輩者として知らない知識を教えていただきますね~、の姿勢でいれば事もなく済む。が、年上としては「へぇ~そうなんだ」はちょっと物足りない気もする。
いや、そのプライドを捨ててちゃんと「へぇ~そうなんだ」と言うことも時に大事である。年下側を立てることで「あ、この人一応ちゃんと聞いてはくれるんだな」と思ってもらえれば話をしてくれやすくなるので。変に知ったかぶりをして先輩風を吹かす人間よりははるかに信用できる。
が、その上でだ。もう一声ほしい。
既知が故に興味がない事柄だってたくさんある。そもそも興味のないこともある。あとは年取ると色んなものを類型化してとらえがちだから、「ああ~あの感じね」で済ませがちにもなる。アイドルの顔とかみんな同じに見えるし、ロキノン系ってみんな手を変え品を変え同じことやってんじゃんね、とか言い出したら身もふたもない。
どうにか、それは避けたい。自分が年下側の時にそんなん言われたら冷める。
結局これは最初の考えがすべてなのだが、言い換えれば、「同じ大人として捉える」ことが大事なんだろう。別に捉えたくないような嫌いな相手は子供だと思えばいい。
大人だと思えば、人の話を遮って話し始めることもなかろうし、二の句の次ぎ方もおのずと見えよう。
まあそれにTPOがそぐわなかっただけで、別の場所で聞いたら有益な話かもしれない。無下に切り捨てることもなかろうて。
話をする側
聞く方はじゃあいい。
教える方はどうしようか。
僕自身の趣向として、先輩風を吹かせるにも吹かせ方はあると思っているし、威張るのも威張られるのも嫌。尊敬はしたい/されたいが、遠い人ではいたくない。
一方で、何かを伸ばすには必ずアメとムチは必要だと考えている。アメだけだと詰めが甘く、ムチだけだとそもそも伸びない。
ここら辺の考えは、中高の吹奏楽部時代に後輩に教えていて思ったことで、多分これから先もそう思うだろう。
その時の考えや方策、その時の経験則からすると、だ。
まず最初は「褒める」のも大事だが、「怒らない」ことだろうと思う。
分からんままやっとるものを怒られても悲しくなるだけだ。こちらは理解したつもりでいるが、求められてるものはもうちょっと違ったのだ、とか全然あるし。分かるまでは時間がかかる。
だから、それまでは極力怒らないで、諭す。不手際はこちらが拭う。とりあえず見かけ上の形だけでもハウツーが出来てくれることが大事。
出来るようになったら、そこから怒る。
怒る時は理由も述べるだろうが、わからないうちからそんなの言われてもただ呪文が並んでいるだけだ。理由が分かるまでも時間がかかる。
その時間をかけた上で、怒る。そうすると解像度はグッと上がる。
褒めは、まあレベルに応じて。
本当の初期であれば、少しでもカタチっぽくなったのなら、褒める。褒めて、次を教えて促す。
少しできてきたら、それが比較的良くできている時とあるいは諦めそうな時に褒める。練度を上げながらモチベーションを落とさないためである。
大分出来てきたら、まああまり褒めなくてよいが、忘れた頃にしっかり褒めてあげる。ここら辺はもうツンデレくらいの感じが丁度良い。自身でもそれなりに研究するフェーズに入ってきている頃だろうし。
研究するフェーズに入ってきたら、もうほぼ口出ししなくていい。彼が行き詰った時に相談できる相手として構えていればよいし、巣立ってくれればそれはそれで御の字だ。
あとは程よくゲーム感覚にさせてあげるのがいいかもしれない。
自身で気づいてくれたら一番楽なのだが、まあ皆が皆そうとも限らないので。
別に明確に○○ゲームみたいにする必要はなくて、捉え方に変化をもたらしてあげるとか、飽きずにやる目標を定めてあげるとか、そのくらいでもいい。
どうせ仕事なんてものは、クライアントが「できなくて」or「面倒くさくて」or「手が足りなくて」or「できるだけやりたくなくて」発注するものだ。そのいずれかである以上は基本楽しくない。その楽しみなんてこじつけでもいいから自分で見つけていくしかない。
楽器だってそうだ、上手くなるための基礎練習なんかめちゃくちゃ楽しくない。同じことの反復をしているわけだし。だけどそれだって、自分がまさに修行僧のそれのようでカッコいい!と思えればいくらでもできるし、筋トレに例えて「今俺はマッチョになろうとしているんだ……!」とか思えばまあモチベも上がるだろう。
前を向く、その向き方だけ与えれば、あとは勝手に進んでいくのだ。人間だもの。
なので、最低限ルールとして必要なことは教えるが、その仕事ぶりとかについては、しばらくは静かに見守ろうと思う。
自分だって未だに年中100点満点の仕事なんかできないし、うまくいかないこともアホほどある。自分が新人だった頃もアホほどミスしてたことだろう。
なので、静かに、見守り続けようかな、と思っているところ。
伝授
これ、もしかしたら子供の教育とかもそんな感じなのかな。
結婚する予定もなければ子供を作る未来も何もないけれども。
昔自分は、自分をデスクトップPCのハコだと思っていた。
色んな事(=プログラム)を与えられて、その中で出来ることを演算しているだけだと。
だから「よく考えてみなさい!」とか言われても「いや別に教えられてないことは無理だし」と普通に思っていた。今でも思う。
聖人君子ではないので、想像するにしたって無からは生み出せんよ。
自分は、怒る時も教えるときもそう言わないでいたい。
「想像してみろ!」ではなく、「こう考えたらこうなるんだよ」と。ちゃんと参考書レベルの回答を出来るようにしていたい。
その考えだって「いや初めて聞いたし」というのが当然なのだが、そこで初めてを聞ければ、二度目に聞くときには印象が変わっているはずだし、定着もしやすい。
箸の持ち方や読み書きを根気よく付き合ってくれた相手がいる。
それを思えば、他人を無下に諦めることなんかなかろうて。
……さてさて。
あれこれ言わんでも色々やってくれるようになるまでどれくらいかかるだろう。
自分もがんばる、彼もがんばって。