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間違った劣等感
嫌われる勇気を再読中だ。
今、劣等感についてのチャプターを読んでいる。
その中で
✓劣等感は、主観的な思い込み
✓劣等感は自らの価値判断に関わる言葉
✓わたしが自分に感じていたのは 、あくまでも他者との比較 ——つまりは対人関係 ——のなかで生まれた 、主観的な 「劣等感 」だったのです 。
✓われわれを苦しめる劣等感は 「客観的な事実 」ではなく 、 「主観的な解釈 」なのだ
というフレーズがあり、自分自身の過去を振り返りながら考えてみた。
小さい頃母親から「お友達と何かやってお友達と違ってうまくいかなかった時、間違ってしまった時は、なにくそ!と思ってやってごらん、その人よりきっとうまく出来るようになるから」と常に言われてきた。
なにくそ!私の方が絶対うまく出来るのにあの人が褒められている!
なにくそ!なんで私はこんなことも出来ないんだ!という具合に。
別に私はお友達の中で常に一番でいたかった訳では無いけれど、お友達の中で〝一番〟でいて、そして〝完璧〟でいる方が、お母さんや先生に褒められるし、自分のやりたい事をする時の交換条件として出せる一番有効なカードなんだと思っていた。
友人達は私の思いなど露知らず、自然な成長の流れの中、身につけるべきタイミングで自分で試行錯誤しながら悠々といろんな事を学び、こなしていた。
私はそんな悠々と過ごしている友達に対しても「なにくそ!今にのんびりしていられなくしてやるぞ!」と勝手にメラメラと敵対心を燃やしていた。
思えば親は自分の子供が少しラッキーで、周りよりもハッピーに生きていけるよう考え方を教えてくれていたのだろうが、私は常に自分の後を追いかけてくる追撃者の存在に怯えながら生きてきたように思う。
年齢を重ねて、いろんなタイミングで自分の歴史を振り返る機会が訪れたが、私は幼少期を振り返るのがとても嫌だった。
同窓会、成人式、昔を知っている人との集まりは全て欠席した。欠席と言うか、欠席の連絡もせず、連絡を無視し続けた。
死んだと思われたか、そんな人いたっけ?と思ってくれればいいのにと思っていた。それほどまで過去の自分と向き合う事は苦痛でしかなかった。
この歪んだ劣等感は間違いなく自分の手で作りあげられたものだった。
誰も私の事を敵だなんて思っていないし、たとえ1番を取ったとしても心から嬉しいと思えない1番なんていらない、そう思うのが普通だろう。
一人っ子と言うこともあり、母親が、家族というコミュニティが私にとって唯一無二のとても大きな存在だったから母親の事を信じて「なにくそ!」と思って生きてきた。
自分の身は自分で守る。その為にスキルを身につけるのももちろん大事。だが、それ以上に、自分が生きやすい世界を選択する。それが自分自身を守る事に繋がるんだと思う。
劣等感は自分自身で作るものなんだよ、あの頃の自分に教えてあげたい。
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Chii
自分自身×ライフスタイル☞好きな自分と楽しく生きる♪Living Happy♡ライフスタイルクリエイター☆
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