個人主義者だと生きづらい中国
私は個人主義者だ。個人主義者だと思いたい。
元々は何々主義者になろうという発想は考えてなかった。が、中国にいる時間が長ければ長いほど、「個人主義はなくすべき」とわいわい共産党の公式サイトに書き上げられていることから、「個人主義」ってなんだ?という素朴な質問が聞きたくなってきた。
この社会にちょっとでもいいので貢献をしているものは個人主義者と呼べないと、私は考えている。一生他人のために生活をする人の人生は、いったい賞賛すべきかまいかは、私は心底疑っている。それとも、主義者という言葉自体が、「いつも」そうしている人間をさしている意味を含めている、とか。
私は中国人だ。中国人である以上、「思想」、「主義」、「制度」などとともに生きざるを得ない。それはどうだろう。もしそういう教育を生まれてから受け続けてきた人間が君の前にいたら、どんな会話が来るのだろう。
中国人はみな二つの人格を持って生きている。社会階層が固まった国であれば似ていると思うが、社会人の俺と自宅に帰った俺が存在する。中国人の場合は、さらに共産党員(特に国家や地方の公務員を指す)の場合は、頭が70パーセントが共産主義思想でなければ仕事を進みづらい。なぜかというと、普段はそういう文章を書かないといけないからだ。はっきりと両人格をわけて生きる中国人は、だいたいそのパターンに慣れている。
それで結論を言う。公務員をやめたい。