#F 恋は落とすものか、落ちるものか
「最近好きな人が見つかりません、どうにかして見つけて付き合いたいのですがどうしたらいいのでしょうか?」
私はこれに対して「そもそも好きな人は自分から見つけにいくものなのか?」というシンプルな疑問を抱いた。少女漫画とか、私の父母世代を見ると見つけた、というよりなんか知らんけど見つかってたみたいな印象が強い。じゃあいつの間にそんなことを考えざるを得なくなったのか?ということをちょっと考えてみる。
「見つけないといけない」時代になった気はする
最近は昔と比べて恋人を見つけようとする努力というのは難しくなっている気がする。なぜかというと、1つめは私たちの性格が結構内向的になったということは強くかかわっている気がする。私たちの性格で、内向的といわれる性格はとても多いような気がする。いわゆる「陰キャ」と呼ばれる人たちである。そのような人たちは個人の性格などを晒すことを嫌がるのである。これは個人情報を守ろうとする働きが強くなっている反面、晒さないということは他の人に対してアピールができないということなので私たちがその人についての情報を得られずに出会う機会が少なくなってしまうということはあると思う。逆に情報化社会ということで様々な事を知ることはできるのだが、見ることができるのはテキストだけだしサクラの可能性があるということを考えると信頼性も少なくなるので、やはり疑り深くなってしまうね、ということはあると考える。
また、見つけようとする人に対してのサービスが拡充したことが考えられる。今の社会では「婚活市場」がとても大きいように婚活をするサービスというのはとても多い。なんなら婚活市場のみではなく一夜を共にする人とかも募集しており、すごく私たちの感覚として「見つけようとすれば見つけられる」という考えが私たちのうちに刷り込まれている可能性が高いと考えられる。私たちの周りにも実際にマッチングアプリで出会いました!とかあるし、どうやら若者の間に浸透していることを考えるとその価値観が出てくるのも致し方ないだろう。
それでも古典派で居続けたい
私は漫画やドラマの見すぎだと思うのだが「好きな人は自然な出会いが素晴らしい!」というロマンチック教の信者であることは間違いない。回転ずしに例えるのであればレーンに流れてきたものを食べる感じである。コロナかで人やモノの流れが抑制され、生身で人の交流がない中で出会うという行為はとても難しいように感じる。だから、今や古典派というのは割と少数派ではないだろうか、と結構疑心暗鬼になる。周りもまだ人を"見つけて"ないの~?とか煽られるし、私もプレッシャーとして感じつつあるのだが…
まぁともかく、自然な出会いというのは信じ続けるし運命的な出会いというのは信じている。皆様は「見つける」のか、「見つかる」のかどちらでしょうか。わかりませんね。