「部活」『叫び声』に寄せて
文化部という階級に属する私たちはmatchをのめない、らしい。初めて台本を読んだ時、知らなかった、と思った。あの教室で、クラス替え前に先生へプレゼントを贈るとか、クラスマッチの後みんなでカラオケに行くとか、そういう企画をする権利が自分にないことは知っていたのだけれど、MATCHを飲むこともできないのか。1歩成長した自分の自意識が高校の時の記憶をつつき始め、昼休みに毎日購買で買って飲んでいたいちごミルクが小さなうめき声になって消えた。
教室の中では自意識をはたらかせていたとして、階級に合わせて話し声を調整し、板書だけは完璧にできるようにしておいて、MATCHを飲まないように努めてさえいれば、自分の尊厳が傷つけられることはない。しかし体育は、たとえばバレーで飛んできたボールをレシーブできなかったとき、卓球で3回連続ボールを返せなかったとき、キーパーをしていたら何度も敵の方向にボールを投げてしまい連続でシュートを入れられたとき、同じチームの人の落胆したような顔を見るたびに、胃の中がかき混ぜられたような気持ちになり、顔から発する熱で今すぐに死んでしまえればいいのに、と思っていた。ふつうの授業は準備さえしていれば恥をかかないのに、体育は準備なんてなにもできないまま、処刑台に立たされる。「叫び声」を通して、綺麗な思い出だけをとり出した瓶詰めみたいな高校生活の中に、でかい虫が入っているのを見つけてしまった。けれどそれは決してマイナスなことではなく、心のうちに封じ込めていた自分の汚い感情に、向き合う覚悟を身につけられたということだと思っている。
1月末、はじめて参加した稽古の日、話が盛り上がりすぎて、稽古場である奥山先輩の家に3人で泊まった。昼過ぎに起きて中野ブロードウェイを探索し、高円寺で焼き鳥を食べたら別れが急に名残惜しくなり、次の日実習のある安孫子先輩の家までタクシーで行き、また3人で泊まった。3人で共有した種々の概念(がいねん)を用いて会話をするのが楽しすぎて、2月からは本格的に就活をしようと思っていた私はどこへやら、「部活」の稽古を何よりも優先し、毎日とはいかなくとも3日に1回くらいは2人に会っていた。そんな調子なので当然稽古は進まず、奥山先輩は台詞を覚えず、実習やテストもあった安孫子先輩の脚本は完成せず、かなりドタバタした本番前だったものの、なぜか3人でいれば大丈夫だとすら思えた。昔の話も、今の話も、未来の話もして、3人でたくさんの価値観を共有した。そのなかで、今まで見てきた「安孫子陶」という人物と「奥山諒太郎」という人物のイメージが覆った、というと正しくないかもしれないが、とにかくかなり変わった。
この公演に参加を決めた大きな理由の1つが、安孫子陶の作品に関われるから、というものだった。初めてビデオで「隧道」を見たときの衝撃は忘れられない。そして何より私が好きだったのは、各SNSでの安孫子陶の過激かつ的確な発言の数々だった。Twitterのツイートを眺め、後悔されているnoteは繰り返し読んで、公演パンフレットで足跡を追いかけた。特に好きなのは「海馬」の「公演に寄せて」の文章で、本人は忘れていると言っていたけれど、私は今でも内容の一部はそらで言える。作品やツイートから得られる安孫子先輩の印象はざっくり言うと自信家の天才という感じで、自分に自信がないくせにプライドだけは高い私は、ほとんど会ったこともない、作品だって生で見たこともない安孫子陶という人物に、強い憧れを抱いていた。
『叫び声』の脚本を通して伝わってくる安孫子陶は、それまで私が(勝手に)もっていたイメージとだいぶ違っていて、もちろんそれは演劇的な誇張表現に基づいた1種のパロディであると分かっているし本人もそう言っていたけれど、それでも私にはかなりの衝撃だった。そこで、とりわけ3場で描かれる彼の自己意識に苛まれた高校生活は、私にとって見覚えのある記述に溢れており、何度も演出をみるのが辛くなってしまった。実際はかなり脚色した物語であり、あれをうのみにしてはいけないとはわかっているものの、やはりどうにも他人事には思えなかった。
私はよく、自分が男だったら、と考える。女なのでチビでも運動神経が悪くてもそれなりに許されている風潮があるが、男だったらそうはいかないだろうと、常々思っている。チビで運動神経が悪くて美形でもなく、男性的マッチョイズムに馴染めるコミュ力もなく、そのくせプライドだけは高くて美少女が大好きな、悲しきモンスターが爆誕していたに違いない。男子は体育のバスケの際、まるでそれを義務教育中に身につけたかのようなスマートさで、パスを回し、シュートを決める。あれは、あの自然さは一体どうなっているんだと常に考えるし、1人はぐれて走っている子を見ると、イフ世界線の私を見ているような気持ちになってしまう、そして、こう言っては大変失礼なのだが、『叫び声』の「僕」ないし「おれ」は、妄想上の「男性の私」によく似ていた。私もきっと、matchを飲めない、男性だったとしたら、なおさら。いちごミルクなんて、もっと飲めない。
体育の授業ではぐれていたことなんて、その授業が終われば、その1日が終われば、みんなの記憶から消えてなくなるだろうに、きっと私は卒業しても、ずっと脳内にそれがへばりついてしまうのだろう。その運動神経の悪さというより、それをずっと引きずってしまう自己意識と、一生戦わなければいけない、自覚の強さという枷を背負って、マラソンを走り続けなければならない。そのマラソンを走っている最中、ふと横を見たら、マラソンなんか走らないで空でも飛んでいると思っていた安孫子陶がいた、そんな感覚だった。当然走っている途中も、走り終わったあとも、matchを飲むことは許されておらず、逆にミネラルウォーターとかも飲めず、こっそり校舎の水道水飲むしかない、何階の水がいちばん美味しいか、こっそり調べるしかない。
それでも、matchを飲めない私たちにもできること、当然することがあって、それが演劇だった。そう呼ぶには余りに過酷な営みかもしれないけれど、やっぱり言葉をひとつ選ぶとしたら、私にとっては救い、だと思う。公衆電話を持って演出をつけるところ、男子ハンドボールのあなたに「最高だった」と言われるところ、その屈託のないパス。終演の、その時にしかない救いがあって、初めて脚本を読んだ時は涙が出た。媒(おんななにがし)を最後に、3年以上演劇をしなかった安孫子先輩の、リハビリとして行われたこの公演。
公演が終わったあと安孫子先輩は、ずっと演劇を続ける、と言っていた。私にはそれが本当に嬉しくて、この先何度も打つであろう公演のなかの、どれかにまた関われたらとっても幸せだろうとぼんやり思った。と同時に、完全なる観客、初見で、安孫子陶の作品を生で見てみたい。そんな贅沢な悩みを抱けたことが、この公演で得た大きな財産のうちのひとつ、だと思う。
ところで、奥山諒太郎(=ガブ先輩)はmatch飲めない人(まっちのめないんちゅ)の代表格のような顔をしておいて、実はしれっと陽キャからmatchを分けてもらえるタイプの人間だと稽古中ずっと思っていたのだが、5ステ目でマラソンシーンのあと疲れすぎてmatchを飲んでいるのを見てそうと確信した。厳密に言えばあれはmatchではなく尿の喩だったので、彼が飲んでいたのは尿だったのだが、あの役を奥山諒太郎がやる意味が如実に表れたのは、あのときだったと思う。ベルトを切って渡すような跳躍はなくとも、数学の板書で当てられて、答えられなくても笑って許されてしまいそうなそのキャラクター性、言い方は悪いが恥を恥と思わないような緩い自意識、を持つ奥山諒太郎が、あの役を演じるということ。一時は安孫子先輩が演じる危機に見舞われたりもしたものの(完全に奥山の)、やはりガブ先輩が演じなければ、役が通らないだろうとすら感じる。
奥山諒太郎とは高校1年生のときに出会ったので、もう6年の付き合いになる。ただ、私の受験期と先輩の上京が重なった2019年は連絡をほとんどとっておらず、その時期に関しては安孫子先輩のほうがガブ先輩に詳しい。そして彼はそのとき、色々あって精神科に通院するほどに精神が追い詰められていたらしいが、実は私はそれを全く知らず、Twitterかなにかで初めて知った。ガブ先輩はいつもそうで、大切なことをいつも私に直接言わず、Twitterやらインスタではじめてそれを知る、というパターンが多すぎる。別に信頼されていないとかではなく、ただ自己発信をLINEという狭い場所にとどめておけない人なのだなあと思うようにはしているが、そういうところにも自意識の緩さみたいなものが垣間見えるなあと思う。
こんなに自意識について偉そうに語っているが、ガブ先輩と自分の違いを考えた時に、「自意識」という概念を用いるようになったのは『叫び声』の稽古を経てのことだ。そしてガブ先輩の自意識の在り様に対する認識も、「安孫子陶」という第三者兼奥山諒太郎の先輩という全く新しい存在が入ったことで変わった。私が思っている以上にガブ先輩は繊細で、年上には素直に甘えたいタイプの人間であり、気遣いをしようとする姿勢があることがわかってきた。特に安孫子先輩については、自分の内面性を理解し優しくしてくれる存在として、私の前では見せたことのない甘えぶりを発揮していた。大戸屋やスシローなど、メニューの充実したチェーン店にいくと「どれにしようかな!」「なんでもうまそうに見えるな!」と、目を輝かせながら注文用タブレットを操作するガブ先輩を見て、どこまで行っても憎めない愛されキャラの根底にある無邪気さや素直さを強く感じた。
「夜ふかし」の取材にニコニコで答えつつもスペースで実況しながらみようぜ!という安孫子先輩の提案には「嫌ですよ」答えるなど、なかなか難しいガブ先輩の自意識は、matchを飲むことを許す。それで言うと『3月のライオン』でいうところの階級は実は、各々の自意識の強さでつくられているのだろう。自意識の緩い人から、よくわからない古着みたいなパーカーを学校に着てきて、クラスの文化祭の出し物を仕切り、ひとり500円ずつ集めて卒業式の日担任に花束を渡す。高校生の時はよくやるなあと思っていたのだが、今思うとそういう役割は社会に必要で、実際に仕事ができるかできないかに拘らず、そのような自意識でもって成り立つマッチョイズムこそが就職活動、ひいては社会活動に必要なものなのだろう。人には人の自意識があること、それによって自分の思い出が穢れたとしても、きちんと認識し、向き合うことができるようになったことこそが、この稽古期間の一番の財産かもしれない。
就職活動とかいう自己意識とたえず戦わなければならない行為中に、この舞台に携われて本当に良かったとしみじみ思う。激長エントリーシートを提出したのににべもなく祈られたその日、美味しい海鮮焼きとお寿司を一緒に食べて慰めてくれたことを、ずっと覚えていたい。
もっと楽しいことをたくさん書くはずだったのに、結局自分語りになってしまったので、以下、ギャラリーコーナーです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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