I have a fever.
久しぶりに熱が出た。37.4度くらいで、そんなに高くはないのだけれど、心臓の音がやたらとうるさく、喉に何かが引っかかっているような痛みがあり、頭もズキズキする。コロナかもしれない、と思うが、今年の1月に同じような症状が出た時は抗原検査をしても陰性だったので、今回も違うかも、という希望的観測。まあ取り敢えず、明日起きて様子をみて、どうするか決めなければならない。
私の大学は外国人の先生が多いため、授業の欠席の連絡などはメールで送らなければならないことがしばしばある。明日の2限はネイティブの先生なので、休む時はLINEで送らなければならない、I have a fever. と。
フィーバーと聞いて考えるのは熱狂したダンスホールみたいな場所で、重たい体を重たい布団で包み、ベッドに乗っかっているこの状況とは正反対の、健康的な、弾けるような印象。共通点がひとつあるとすれば、どちらも「生」を感じるということだろうか。不思議と、いつもよりも体調が悪いと、自分自身がからだをもち、生きていることをひしひしと感じる。
I have a fever. に、冠詞aがつくのはなぜだろう。aがつくのは可算名詞、つかないのは不可算名詞と分けてはいるが、それは後々こちらが定義した要件であって、本当は全然違う理由でつけているのかもしれない、とぼんやり考えることがある。a littleとlittleで、aがつくとつかないとで意味合いが変わる理由も、ビンテージにはなにやらこちゃこちゃと書いてあったが、実際はそんな大層なものではないのかもしれない。とそんなふうに言葉のことを考えると、鶏が先か卵が先かみたいな話になって、あまりの広さに目がくらんでしまうので、諦めてぼんやりとやり過ごしてしまう。だから必修の言語の単位を落としてしまうのだろう。いやそれは関係ないか、ただ寝坊しただけだし。
体調が悪いと、体調が良かった時の自分が他人のように遠くなる。今の私にとっての”きのう”は、体調のいい私が過ごした”2023年4月18日”ではなく、前回体調を崩してしまった2023年の1月のあの日だ。ねえ本当にそうだったらさ、もう1回公演をやりたい、就活のことも忘れ去って、何度でも、新宿眼科で。当然そんな奇跡は起こるはずもなく、寝て起きて体調が回復していたら、私は4月18日の続きを生きなければならない。今日は外に1歩も出ていないのでわからなかったが、20度を超える快晴だったらしい。ベッドでうずくまっている間に世の中の時計の針は進んでいるわけだから、さしずめタイムマシンというわけだ。未来に飛ばせるなら、過去に戻らせろよ、と思う。未来にしか行けないタイムマシンなんて、焦燥感を与えるだけのがらくただろう。
群像5月号が完売したらしい。Amazonでみたら値上がりしていた、ひいこわい。買っておいてよかった。「黄色い家」を読んだら、川上未映子特集に手をつけようと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?